横浜市の總持寺とならぶ曹洞宗大本山の永平寺である。
開山道元禅師は、寛元元年(1243)志比荘吉峰寺(現、永平寺町吉峰)に入り、翌年の寛元2年(1244)、吉峰の裏側にあたる大仏寺山の中腹の幽境の地に一寺を建立、傘松峰大仏寺と名づけた。寛元4年(1246)、仏法が初めて中国に伝わった後漢の第2代皇帝明帝の永平10年(67)の年号にちなみ、永平寺と改称した。
吉祥閣は昭和46年(1971)に広く一般の方々を布教教化する場として建てられた。
平成6年(1994)の改築で、一階は参拝に来られた方々の応接などがある。二階には156畳敷きの「絵天井の間」があり、昭和5年(1930)当時の著名な画家144名による230枚の美しい色彩画が天井に飾られている。
七堂伽藍の中で最も古い寛延2年(1749)の造立である。中国唐時代様式の楼閣門で、両側に仏教の守護神である四天王が安置されている。また、山門楼上の羅漢堂には五百羅漢などが祀られており、毎日、修行僧が楼上に登り、お経をあげている。
山門と中雀門の2棟は、県指定有形文化財に指定されている。
僧堂は明治35年(1902)の改築である。正面には「雲堂」の額が掛けられてゆおり、堂内中央には智慧の象徴である文殊菩薩を囲むように、坐禅の出来る「単」と呼ばれる席が約90人分設けられている。
明治35年(1902)の改築である。中央には曹洞宗のご本尊であるお釈迦様が祀られており、向かって右側からそれぞれ過去・現在・未来の三世を現している。また、正面に「祈祷」の額が揚げられていいるように、昼や晩のおつとめでは世界平和や万民安楽をお祈りしている。
報恩塔は平成8年(1996)に建立された、写経を納める塔である。永平寺では納経いただいた方々の願意を込めて、毎朝の朝課にて祈願・供養をしている。
住持が法を説く道場であり、正面外にはそれを表す「法王法」の額が挙げられている。中央には聖観世音菩薩がお祀りされており、現在は、説法のほかに朝課などの各種法要儀式が行われている。
大庫院は地下一階地上四階の木造建築で、昭和5年(1930)の改築である。一階には食事を司る典座寮があり、正面には「韋駄尊天」が祀られている。道元禅師は食事を作る側の心構えとして「典座教訓」を、いただく側の心構えとして「赴粥飯法」をお書きになられた。
浴室の正面には浴室の守護神「跋陀婆羅菩薩」が祀られている。
大祠堂殿では宗派を問わず、一般の方々の納骨や供養などの法要が毎日つとめられている。