福井県の永平寺とならぶ曹洞宗大本山の諸嶽山總持寺である。三本松関は総門で、扁額は石川素童禅師が揮毫されたものです。
昭和44年(1969)に木原崇雲氏の寄進により完成した。楼上には観音菩薩・地蔵菩薩四天王・十六羅漢を祀る。
「縁起によると、行基がたてた諸嶽寺(現、石川県輪島市)を、元亨元年(1321)にその寺主定賢から譲られた瑩山紹瑾が、寺号を總持寺に改めた。瑩山は後醍醐天皇の意にかない、翌年に「日域無双の禅苑、曹洞出世の道場」という倫旨をうけ、勅願大寺とした。」(※)
禅師の入山式や、正月・7月のみたままつり・11月の御移転記念日の時に開扉される。
百間廊下は東西の殿堂群をつなぎ合わせて、外苑と内苑とを分ける廊下で、日々、廊下の雑巾がけが実践されている。
「2世の峨山韶磧も寺門の興隆につとめた。元和元年(1615)に徳川家康により永平寺と同格の本山に列せられ、加賀藩主前田家から寺領をうけ、大いに発展した。仏殿は入母屋・二十屋根の総欅造りで、床は中国風石畳である。七堂伽藍の中心にあり、お釈迦様をお祀りする。」(※)
御開山瑩山禅師始め歴代の祖師がたをお祀りする。千畳敷きの堂内では、朝課・晩課のおつとめ等の儀式が行われる。日本一の大きさを誇る本堂です。
御霊殿には、後醍醐天皇の尊像、尊儀をはじめ、後村上天皇、後奈良天皇、後陽成天皇、明治天皇、大正天皇、昭和天皇の各ご尊儀が奉安されている。
本山の迎賓館と呼ばれる建物で、尾張徳川家の旧書院を東京千駄ヶ谷から移築したものです。
放光堂は山形県鶴岡市よりの移築で明治44年(1911)に落成した。入母屋総欅造りである。かって本堂であったが、今は位牌堂として使われ、檀信徒法要、仏前結婚式などが行われる。
衆寮は坐禅禅堂として一般参禅者に解放されている。
大僧堂は修行僧のみが生活している根本修行道場である。朝夕の坐禅、食事、睡眠が毎日規則正しく行われる。
雲の行くまま、水の流るるままの拓鉢遍路をして精進する僧を、雲水と呼ぶ。
平成11年(1999)の石原裕次郎十三回忌法要が行われた時には、全国から約20万人のファンが詰めかけた。
三松閣は平成3年(1991)に檀信徒研修道場として完成した。4階に大講堂がす。
香積台は総檜、切妻様式で、中に、大きなしゃもじとすりこぎ棒、大黒尊天が祀られている。
大梵鐘は重さ1.9t、定時に撞かれるほか除夜の鐘として有名である。
平成救世観音は平成23年(2011)に発生した東日本大震災慰霊のため、平成25年(2013)3月に仏殿横より還された。
祈りの鐘は東日本大震災の七回忌に当たる平成29年(2017)3月に建立した。3口のベルに江川禅師さまご揮毫の「施・無・畏」が刻まれている。