金剛力士像を安置する平成門です。
玄室泰存禅師が開山となり弘治元年(1555)創建された。萩寺として知られ、秋には山門を入ると紅白の萩が咲き誇る。
曹洞宗の開祖道元禅師は、京の興聖寺を開山して布教を始めたが、比叡山から圧迫を受けた。そこで越前国(福井県)に入り、寛元2年(1244)大佛寺(のちの永平寺)を開山した。
瑩山禅師は後醍醐天皇の意にかない、曹洞宗大本山の總持寺(石川県より移転)を開山した。
瀬谷区には八福神を祭る八つの寺が点在している。
タラヨウは樹齢360年、横浜の名木古木に指定されている。
瀬谷日枝社は、鎌倉時代には既に創建していたといい、天文7年(1538)には当地の地頭松波氏から崇敬されていたと伝えられる。
拝殿右の大ケヤキは、周囲5.4m、樹高約35m、樹齢は約300年以上とされています。昭和59年(1984)には「かながわの名木100選」に選定された。
瀬谷神明社の創建年代は不詳ですが、旧瀬谷村にあった五社のうちの一社です。
忠魂碑には、明治10年(1877年)の西南の役から太平洋戦争までの戦死した兵241柱が刻まれている。
鎌倉幕府が建久3年(1192)に開かれて以来、鎌倉に通じる多くの道路がつくられた。この鎌倉古道も相模と武蔵、さらに関東北西部を結ぶ主要な道です。
瀬谷銀行は明治40年(1907)に創業され、30年にわたり地域金融事業の中心となり、実業界・政界に大きな影響を与えるとともに地域の発展に寄与した。瀬谷銀行の頭取である小島政五郎は、大正6年(1917)に設立した神中鉄道(現、相模鉄道)の初代社長にも就任している。
山門の脇に大イチョウがある。
善昌寺は弘治年間(1555~1557)に、甲斐の武田氏の支族岩崎丹後守が相州瀬谷郷に土着した際、單冏上人を開山として創建したといわれる。
境川の堤防は、藤沢市鵠沼海岸から大和市下鶴間に至る一般県道として認定された自転車道になっている。
川で餌を取る2羽のコサギが見られた。
瀬谷駅の北側へ伸びる海軍道路は、約3kmで市内で一番長いと言われている。春には道路脇に咲く桜並木は、桜の名所として知られている。