横浜市電保存館は、市電が廃止された翌年の昭和48年(1973)8月に滝頭車両工場跡に開館し、その後、昭和58年(1983)には、現在の市営住宅1階に建て直された。
【車両展示コーナー】
「横浜市電」は、明治37年(1904)から昭和47年(1972)まで、約70年間にわたって"ちんちん電車"の愛称で親しまれた。
電車運転系統図は主要な停留場のみ記載されている。
旧横浜駅東口大時計は昭和3年(1928)10月の旧横浜駅完成時から、昭和54年(1979)2月までの半世紀にわたり、東口正面で時を刻んできた大時計である。
車内の大天井もアーチ型とし、内幕板の押縁、スタンションポールの木座等は手づくり模様になっている。
屋根は曲面アーチを採用し、中部に入口専用扉を設けた。入口の幅をつめて出入口に改造し、中部車掌を配置した。
バンバー面から流線型となっている車両は当局雄一のもの。昭和42年(1967)ワンマン車に改造され、昭和47年(1972)の市電全廃まで活躍した。
運転台側出入口は2枚折戸、中央出入口は両開引戸、車掌側は1枚引戸と独特なドアを装備した。
出入口を大きくとり、4枚引戸を採用した。室内灯は蛍光灯でラインライト方式にした。
運転台の窓も大きくした。台車に防塵ゴムを使い、振動や騒音を少なくし、従来の電車と比べて静かで乗り心地も良くした。
令和3年(2021)4月1日、横浜市営交通は100周年を迎えた。今回、その花電車を新たに「ありがとう100周年」バージョンとして装飾。小学校の児童に「未来の市営交通」に向けたメッセージボードを作成してもらい展示している。
【歴史展示コーナー】
市電を中心とした横浜の都市交通のあゆみを、都市横浜の成り立ちと重ね合わせながら紹介している。
明治37年(1904)、横浜電気鉄道(横浜市電の前身)が神奈川・大江橋間を開通させ、横浜に路面電車が誕生した。
横浜の発展の礎となった吉田新田の開拓から、横浜開港、関東大震災、戦後の復興、市電の最盛期を経て廃止に至った当時の写真などが展示されている。
【鉄道ジオラマ】
横浜の街を背景に地下鉄、私鉄、JRの0ゲージ車両が縦横に走るほか、昭和30年代の横浜を背景に市電の模型車両を走る。1日数回、約10分間の「0ゲージ運転ショー」が見られる。
【多目的コーナー】
故吉村栄氏が、およそ40年かけて制作、収集された鉄道模型(0ゲージ)コレクションの一部が展示されている。
ED42形 電気機関車は、1963年まで存在した信越線のアプト区間(横川~軽井沢間)専用の機関車で、3~4重連で使用されていた。
73系 電車(仙石線)は、1967年頃から首都圏から転出して投入された通勤電車で、仙石線では茶色から気道車色へ、さらにウグイス色へと車体の塗色が変わった。
昭和40年代の横浜の街をCGで再現、市電の運転体験が楽しめる。
Nゲージでは、みなとみらいや新横浜の街を、人気の車両を運転して楽しめる。
旧柳下邸は、明治~大正期の有力商人であった柳下氏によって建設されました。大正12年の関東大震災では一部倒壊したものの、大部分は損失を免れました。横浜市では平成8年(1996)に敷地を取得し、建物の寄附を受けて、できる限り創建当時の姿を復元しました。横浜市指定有形文化財として指定されました。
表玄関横には、銅鉄引取商の「鴨井屋」の屋号が彫られた鉄製の天水桶がある。
居間・仏間・客間2には豪華な押絵羽子板が飾られていた。部屋は企画展示や文化活動の場として、市民の方々に利用できる部屋にもなっている。
仏間は茶室としても使われ、畳に茶道のための炉が切ってある。
客間1は、縦繁の格子の書院窓、やに松(黒松)一枚板、違い棚、網代天井、床柱脇の茶室風の袖壁など変化に富んだ意匠になっています。
各部屋へつづく廊下は、とても趣がある。
洋館は、関東大震災後に上棟された。
昭和10年頃、実際に着用した花嫁衣装です。
庭は、四季の花々を楽しむことができる。
根岸村の鎮守で、御祭神は八幡皇大神、天照皇大神、宇佐八幡大神 、大山祇大神が祀られている。毎年8月(2週目の土曜日)に例大祭が行われる。
拝殿の両扉には、立派な彫刻が掘られている。
磯子第二ポンプ場の屋上にある「磯子・海の見える公園」からは、横浜市民ヨットハーバー・南横浜火力発電所が一望できる。夕方、公園横から美しい工場夜景が見られる。
星と飛行機軌道のインターバル撮影写真を比較明合成ソフトで編集してます。