横浜は「2027年国際園芸博覧会」に向けて、市内各所で花展示会が開催。横浜公園では、「第44回 よこはま花と緑のスプリングフェア 2022」が開催されていた。
公園は、74種12万本のチューリップが咲き誇っていた!
朝顔形の噴水塔は、岡山産の万成花崗岩でできており、公園から港へと向かう日本大通りの中心軸と重なるように配置されている。現在の噴水塔は、明治時代から数えて三代目にあたる。
【日本庭園】
「第33回全国都市緑化よこはまフェア」を記念し、日本庭園の名称を、 彼我(外国人と日本人)の友好と平和が深まるよう「彼我公園」に定めるとともに、横浜の国際交流の歴史と文化をあらわす礎とし、「燈籠の里帰り」の意を込めて設置された。
横浜公園一帯は、内海であった現在の関内や山下町を埋め立てた太田屋新田の一部で湿地帯であった。開園以前は、安政6年(1859)11月より港崎遊郭があった。なかでも異人揚げ屋であった岩亀楼は有名で、その建物は蜃気楼か竜宮城かといわれて見物人がたえなかったという。
石燈籠は横浜妙音寺から、横浜市に寄贈されたもので、石に刻んである「岩亀楼」の文字から、岩亀楼にちなむものであることがわかる。
明治元年(1868)政府の招聘により来日した英国人土木技師リチャード・ヘンリー・ブラントンは、開国にともない、日本沿岸各地に灯台を建設する一方、8年間にわたり活動の拠点としていた横浜では、日本大通りや横浜公園の設計を行うなど、近代的なまちづくりに大きな足跡をのこしました。