石田三成

週末ウォーキング / 人物一覧(ゆかりの地)

ゆかりの地

秀吉・三成出逢の像
秀吉・三成出逢の像(東口)

 長浜城主の羽柴秀吉公は、鷹狩の途中に観音寺(米原市朝日町)へ立ち寄りました。汗をかいた様子の秀吉公を見た寺小姓の佐吉少年(のちの石田三成)は、大きな茶碗にぬるいお茶をなみなみと持ってきました。秀吉公がもう一杯頼むと、少年は先ほどよりも少し熱いお茶を、茶碗に半分ほど差し出しました。そこで秀吉公は、さらに一杯所望したところ、今度は小さな茶碗に熱いお茶を入れて出しました。秀吉公は、茶の入れ方ひとつにも気を配る佐吉少年を気に入り、召し抱えました。

忍城
忍城 模擬御三階櫓(撮影 2014.7.6)
時鐘(復元)
時鐘(復元)

 忍城は成田氏によって15世紀後半に築かれ、天文15年(1546)、関東一円の支配をめざす北条氏にくだった。天文22年(1553)には十六代当主上杉謙信に攻められたこともある。しかし、忍城の名を天下に知らしめたのは、天正18年(1590)の石田三成による水攻めである。城主不在にもかかわらず、小田原城が開城してから11日後にようやく開城となった。

石田堤
埼玉古墳群 石田堤(撮影 2014.7.6)

 石田堤の一段高い桜並木は、天正18年(1590)に豊臣秀吉の命を受けた石田三成が、忍城を水攻めした際の堤の一部である。長さ28km(一説には14km)に及ぶ堤をわずか5日間で築き、利根川と荒川の水を流水させたと言われている。三成の陣は丸墓山古墳の頂上に張られた。


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