ペリー提督

芝公園 ペルリ提督の像
芝公園 ペルリ提督の像(撮影 2017.3.12)

 東インド艦隊司令官のペリー提督。日本を開国させるという使命を帯び、断固たる決意のもと日本にやって来た。ペリーの日本遠征は、第一の目的は日本に開国させることではあったが、ほかにも狙いがあった。琉球の占領と小笠原の補給基地化である。これは、幕府に開国を拒否された場合のことを考えての作戦だった。

ペリー公園 ペリー上陸記念碑
ペリー公園 ペリー上陸記念碑(撮影 2008.7.19)

 嘉永6年(1853)6月3日に、ペリー提督の率いる4隻の黒船が浦賀沖にあらわれた。武力を背景にしたペリーの強硬な態度に、江戸幕府はついに6月9日久里浜で上陸を許し、大統領フィルモアからの国書をうけとり、回答は翌年することを約束してペリー一行は引き揚げた。

横浜開港資料館 「ペリー提督横浜上陸」の図
横浜開港資料館 「ペリー提督横浜上陸」の図(撮影 2009.7.11)

 嘉永7年(1854)1月、ペリー提督は再び来航し、開国に関する会談が久良岐郡横浜村字駒形(現、横浜開港資料館)に設置された応接所で行われ、3月、日米和親条約12カ条が調印された。ドイツ人の画家で、ペリーに同行してきたウイルへルム・ハイネの石版画である。

ペリー艦隊来航記念碑
下田港 ペリー艦隊来航記念碑(撮影 2017.8.12)

 嘉永7年(1854)5月25日、下田「了仙寺」にて下田条約(日米和親条約付録13カ条)を締結させた。
 ペリー艦隊の乗組員が上陸したのが、下田公園下の鼻黒の地であった。ここを上陸記念の地として、「ペリー上陸の碑」が建てられた。ペリー像は、故村田徳次郎氏の作品であり、記念碑の前の錨は、アメリカ海軍から寄贈されたものである。

ぺリーロード
ぺリーロード(撮影 2017.8.12)

 ペリー艦隊が下田に上陸し、300人の部下を引き連れ了仙寺まで行進した、石倉やなまこ壁の町並みが残る風情のある川沿いの道である。

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