ゆかりの地
「渋沢栄一は、天保11年(840)武蔵国の豪家に生まれ、尊攘運動に身を投じ、後、一橋家、ついで幕府に仕えた。十五代将軍徳川慶喜の弟昭武の随員として慶応3年(1867)渡欧、明治維新後大蔵省に入り、財政、貨幣、銀行制度の整備にあたった。やがて実業界に転じ、明治6年(1873)第一国立銀行創立以後、多くの国立、私立銀行創立に関与、手形交換所創設、日本銀行創立にも関係した。産業面では王子製紙、東京鉄道、大阪紡績、日本郵船などの多方面の重要産業を創立、政商としても広く活躍し、政府財界の仲介者的役割をはたした。大正5年(1916)実業界を引退し、余生を教育、社会事業にささげた。」(※)
青淵文庫は、渋沢栄一の傘寿(80歳)と小爵に昇格したお祝いを兼ねて、大正14年(1925)に竜門社(現、公益財団法人渋沢栄一記念財団)が贈呈した。
晩香廬は、大正6年(1917)に、渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って清水組(清水建設)より贈られた洋風茶室である。渋沢邸を訪れた賓客をもてなすために利用された。
渋沢史料館は日本の近代経済社会の基礎を築き、生涯「道徳経済合一説」を唱え、実業界のみならず社会公共事業、国際交流の面においても指導的役割を果たした渋沢栄一の全生涯にわたる資料を収蔵、展示している。