散歩コース
東京駅(JR東海道線)~平将門の首塚~一ツ橋~平川門~北の丸公園~九段下駅(地下鉄半蔵門線) 「神田明神のご祭神である東国の英雄・平将門公の御首をお祀りしている。
平将門公は、天慶年間(931~946)に活躍され、武士の先駆けとして関東地方の政治改革を行った。弱きを助け強きを挫くその性格から民衆より篤い信望を受けた。また、この地は、神田明神創建の地でもあった。」(※)
内濠川に架かる見附橋で、徳川家康が江戸城に入ったところは、大きな丸木が一本架けられていて、一ツ橋の名が呼ばれている。
一ツ橋の近くに、松平伊豆守の屋敷があったので、伊豆橋とも言われた。その屋敷跡に、八代将軍徳川吉宗の四男で、御三卿・一橋徳川家の初代当主徳川宗尹が一橋徳川家上屋敷(現、気象庁、KKRホテル東京)をかまえていた。そこで、橋の名をとって一橋徳川家と称したと言われている。
江戸時代の平川(現、日本橋川)は、井の頭池や善福寺池から流れて小石川の台地の下を通り、一ツ橋・神田橋・常盤橋・日本橋・江戸橋を経て江戸湾に入っていた。この平川の海岸に中世の城下町江戸が形成され、河口の高橋のあたり(常盤橋付近)が、城下の港(江戸濠)として繁栄した。
平成19年(2007)、太田道灌公没後450年と江戸城築城550年を記念して建てられた。
平川橋は、擬宝珠勾欄の木橋で、江戸時代の面影を伝えている。
寛永12年(1635)桝形門と番所が築造された。三の丸の正門であったが、大奥の女性たちの出入りする通用門でもあり、御三卿の登城口でもあった。また、城中の死者や罪人をこの門から出したので不浄門とも呼ばれた。元禄14年(1701)松之大廊下で刃傷事件をおこした浅野内匠頭長矩らもこの門から出された。
幅10mほどの土手(帯曲輪)が帯曲輪門と竹橋門を結んでいる。曲輪の両側の二重の濠によって防御線の数を増す効果を狙ったものとみられている。
門の名は、竹で編んだ橋が最初に架かっていたことに由来する。門は、元和6年(1620)仙台藩初代藩主伊達政宗ほか6名の大名によって築造された。北の丸公園の東の出入口にあたり、日枝神社と神田明神の天下祭りの山車は、この門を通過した。現在の橋は、大正15年(1926)に江戸時代の橋の位置に架けられた。
紀伊国坂は、紀伊徳川家の屋敷があったことから名付けられた。
北の丸公園は竹橋と一番町を結ぶ代官通りと、千鳥ヶ淵・牛ヶ淵・清水濠に囲まれた地域が旧北の丸である。本丸台地に続く田安台につくられた北の丸は千鳥ヶ淵・乾濠に通じていた川の谷を埋め立てて拡張した。昭和44年(1969)、北の丸は、昭和天皇陛下の還暦を記念して北の丸公園として一般に開放され、現在に至っている。
皇居乾通り一般公開(※2015年の一般公開)を終えた大勢の方々が、北の丸公園の紅葉も楽しんでいた。
明治になると、北の丸に近衛兵の兵営が置かれた。明治4年(1871)、廃藩置県を断行するために薩摩・長州・土佐から集めた御親兵を、翌年近衛兵と改称し、山縣有朋・西郷従道指揮のもとで天皇護衛を専務させた。明治7年(1874)には歩兵・砲兵の兵営が設置された。
このあたりから日本武道館にかけて清水家の屋敷があった。この屋敷は、文久元年(1861)十四代将軍徳川家茂に降嫁した皇女和宮(静寛院宮)が、江戸に入って最初に逗留した所であり、また文久3年(1863)、西の丸に次いで本丸御殿が焼失した際には、家茂夫妻が難を逃れた所です。
北の丸北東部に位置する枡形門であり、正面の高麗門と、その右手奥の櫓門からなる。九代将軍徳川家重の次男で、御三卿・清水徳川家の初代当主徳川重好は、宝暦8年(1758)に清水門内に清水徳川家上屋敷を与えられた。現存の門は高麗門の扉釣金具に残る刻銘から万治元年(1658)に建てられた。櫓門の上部は、昭和41年(1966)の修理で復旧整備した。
日本武道館は、昭和39年(1964)の東京オリンピック大会の柔道会場、日本に伝わる武道のデモンストレーション会場として建設された。法隆寺の夢殿を摸した正八角形の外観、銅板葺の屋根、高さ43mの巨大な建物で1万5000人を収容し、各種の催しにも利用されている。
日本武道館前から中央広場の池にかけて、田安徳川家上屋敷があった。御三卿・田安徳川家の初代当主徳川宗武は、八代将軍徳川吉宗の次男で賀茂真淵に師事して国学を学び、万葉調の歌人としても知られた。寛政の改革と呼ばれる幕政改革を担当した老中松平定信は、宗武の七男としてこの屋敷内で生まれた。
田安門は北の丸の北端部に位置し、江戸五口の一つで、上州道の起点となっていたことから、古くは飯田町口、または代官町御門と呼ばれていた。このあたりは、家康の入国以前は田安台といい、民家や田畑があり、田安大明神の社(現在、牛込にある筑土八幡社)もあった。田安門の由来はここからきている。
「工芸館は国立近代美術館の分室として、日本の伝統工芸から近代工芸に至る各種の工芸品を展示している。赤レンガ造の二階建・ストレート葺の屋根・中央部に八角塔屋をもつ簡素にゴジック風の様式をもつこの建物は、明治43年(1910)建築された旧近衛師団司令部庁舎(国重要文化財)。明治時代の洋風レンガ造建築の一展型で、当時の官公庁建築の貴重な遺構である。令和3年(2021)3月、石川県金沢市へ移転され「国立工芸館」の名称に変更された。」(※)
北白川宮能久親王は、もと輪王寺宮公現法親王といい、明治維新時には彰義隊や奥州越列藩同盟に擁立されて新政府軍と対峙した。のち許されて北白川宮家を継ぎ、近衛師団長として日清戦争に出征し、台湾で戦病没した。
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