散歩コース
日比谷駅(地下鉄日比谷線)~憲政記念館~日枝神社~赤坂見附駅(地下鉄日比谷線)明治維新まではほとんどが山王社(日枝神社)の社地であり、国会議事堂から日枝神社前に下る坂なのでこの名が付けられた。
「江戸時代以来、山王権現・山王社などと呼ばれて親しまれてきた。太田道灌が江戸城の鎮守として川越(埼玉県)から移されたが、熊野那智山実報院の米良家文書に、南北朝時代の正平17年(1362)、豊島郡江戸群山王宮住僧3名が参詣宿泊したことが記されていることから、道灌の築城以前から存在していた。
山王神は天台宗の守護神で平安時代初め最澄が延暦寺を比叡山に創建する際、山霊に日吉山王の神号を奉って祀ったことに始まる。」(※)
「明暦3年(1657)の明暦の大火で社殿が類焼したことから、四代将軍徳川家綱は社地を現在地に移し、万治2年(1659)に再建した。明治に入ると、神仏分離・廃仏毀釈の運動がおこり、祭神山王権現を『古事記』にもとづいて大山咋神、社号も日枝神社に改めた。国宝指定の桃山建築様式の華麗な社殿は、昭和20年(1945)の戦災で焼失し、現在は鉄筋コンクリート進で再建されている。東京十社の一つである。」(※)
左の母猿と子猿は、子宝や安産のご利益があると言われ、右の父猿は、商売繁盛や社運隆昌にご利益があると言われている。
宝物殿には徳川歴代将軍が奉納した太刀などの国宝や重要文化財が収蔵されている。
さざれ石は、学名を「石灰質角礫岩」といい、岐阜県揖斐郡春日村の山中から発掘される。石灰石が長い年月をかけて雨水に溶解され、それにより生じた粘着力の強い乳状液が小石を終結して大きくなり、一つの大きな岩の塊に変化した。
【山王祭(神幸祭)】
山王祭は、富岡八幡宮の深川祭、神田明神の神田祭と並び、江戸三大祭の一つに数えられている。
【山王祭(楽劇「大田楽」)】
午後4時から境内では楽劇「大田楽」のお祭りが行われ、笛・太鼓の楽隊、王舞、群舞、曲芸などに訪れた見物客は感動し大きな拍手を送っていた。約1時間の楽しいお祭りでした。
「野村万之丞作・演出の楽劇「大田楽」は、文献や絵巻等から中世末に消えた幻の芸能「田楽」の断片を集め、あるいは日本各地に伝わる民俗芸能の中からその流れを伝えるものを検証し、現代の感覚で編み直された者です。かつての腰鼓をタムタムに変えたり、西洋のワルツのリズムを取り入れる等数々の新しい試みにより、単に古俗の再現にとどまらず、未来へとつながるページェントが繰り広げられる。」(※)
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