散歩コース
門前仲町駅(東西線)~富岡八幡宮~永代通り~永代橋~門前仲町駅(東西線)寛永4年(1627)、菅原道真の子孫長盛上人が社殿を創建した。東京十社の一つである。
「富岡八幡宮には、江戸時代深川に屋敷のあった紀伊国屋文左衛門より三社託宣に因み八幡造り・神明造り・春日造りの三基三様の神輿が奉納され、みこし深川と云われていたが関東大震災で惜しくもその全てを焼失した。御本社神輿の復活は深川っ子の念願であったが、平成の御世になり漸く、昔に優るとも劣らない大神輿が復活した。」(※)
「伊能忠敬は寛政12年(1800)6月11日の早朝に、富岡八幡宮に参拝して蝦夷地(北海道)測量の旅に出かけた。伊能忠敬はこのときを含めて全部で10回の測量を企画したが、遠国に出かけた第8回までは、出発の都度必ず、内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参詣して、無事を祈念したのち、千住、品川宿など測量開始地点に向かって歩き出した。」(※)
本殿右奥に、幕末の名力士陣幕久五郎が中心となって、明治28年(1859)に建立した横綱力士碑がある。この碑は、貞享元(1684)年から天保4年(1833)の約150年間、この境内で勧進相撲が行われたことを記念したものです。
大関力士碑は歴代の大関を顕彰し(横綱に昇進した力士と実際に取組には入らなかった看板大関を除く)昭和58年に建てられた碑で、九代市川團十郎と五代目尾上菊五郎が明治年間に寄進した仙台石を利用している。
本殿にむかって左手の茂みの中に、深川力持ちの碑と力石がある。力持ちは、江戸時代に隅田川岸の蔵の荷物かつぎが石を持ちあげて力を競ったことに始まり、19世紀には興行として見せるようになった。
八つの末社は左より、祖霊社・花本社・天満天神社・聖徳太子社・住吉社・野見宿禰神社・車析社・客神社が鎮まる。
【2014.8.17 神輿連合渡御】
「富岡八幡宮の祭礼は、深川八幡祭りとも呼ばれ、8月中旬に行われる。3年に1度の本祭りは、氏子町の120基の御輿が練り歩き、大御輿54基が勢ぞろいして連合渡御する。深川祭は、神田明神の神田祭と日枝神社の山王祭と並び、江戸三大祭の一つである。沿道の住民からの清めの水がかけられ、別名「水かけ祭り」とも呼ばれている。」(※)
【2008.8.17 神輿連合渡御】
永代橋は、上野寛永寺の根本中堂建設残材をもって、関東郡代伊奈氏が、元禄11年(1689)、はじめて架橋、永代島にかけられたので永代橋の名がつけられた。一説には、架橋日が五代将軍徳川綱吉50歳の祝賀日であったので、永代橋と命名したという。
【2008.8.17 神輿連合渡御】
文化4年(1807)8月19日、富岡八幡宮の大祭りに、あまり多くの人が永代橋を渡ったので、橋が崩れ落ち、約2,000人が溺死した。江戸時代の大事件の一つである。現在の橋は、大正15年(1926)、284万円をかけ、長さ185.2m、幅22mの鉄橋にかけ替えた。
【2006.8.13 二の宮神輿渡御】
本祭り翌年の御本社祭は、氏子町が協力して御輿を担ぐ。その翌年の陰祭では、子供御輿などが行われる。
【2005.8.14 神輿連合渡御】
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門前仲町駅(東西線)~富岡八幡宮~永代通り~永代橋~門前仲町駅(東西線)