両国歴史散歩(江戸東京博物館)
(馬喰町~両国)

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散歩コース

馬喰町(JR総武本線快速)~柳橋~両国橋~回向院~吉良邸跡~両国公園~江戸東京博物館~両国駅(JR総武線)

mark柳橋(やなぎばし)
柳橋
柳橋
柳橋の説明
柳橋の説明

 神田川の下流が隅田川に流れ込む手前に柳橋がある。元禄11年(1698)の架橋当時は川口出口之橋と呼ばれたが、やがて柳橋の称が生まれた。その由来は、神田川下流の柳原土手にちなんだものとも、橋のたもとに植えられた柳にちなむものともいわれている。

神田川
神田川
両国広小路記念碑
両国広小路記念碑

 両国橋の完成によって、隅田川以東の本所・深川方面の開発がすすみ、江戸の町は束へひろがった。また、橋の西詰め一帯は火除地(防火地域)とされ、両国広小路と呼ばれた。靖国通りに面した西詰め一角の緑地帯に記念碑がある。

mark両国橋(りょうごくはし)
両国橋
両国橋
両国橋
両国橋

 「明暦3年(1657)の明暦の大火の際、浅草橋の門を閉ざしたため、その南で逃げ場を失い、多くの焼死者・溺死者を出した。それまで江戸防衛の見地から、千住大橋以外、隅田川への架橋を禁じていた幕府は、防災の必要を痛感し、万治元年(1658)架橋を認め、2年後に両国橋が完成した。初めは大橋といったが、いつしか両国橋と呼ばれるようになった。」()

第一会場の花火
2016.7.30 隅田川花火大会(両国橋西岸)
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 【両国の花火】
 「享保16年(1731)、全国的な凶作や江戸での疫病流行で、全国には餓死するものが96万人に達し、その年さらにコレラが大流行して多くの死者がでた。幕府はその慰霊と悪疾退散のために両国橋付近で水神祭を催し、花火を余興にあげたのかはじめといわれている。現在、隅田川花火大会として上流で復活した。」()

表忠碑
表忠碑
大高源吾「日の恩や」句碑
大高源吾 句碑

 両国橋東話の橋台地の公園に高さ4.5mの表忠碑が建っている。これは日露戦争での戦没者慰霊碑で、明治40年(1907)1月1日に本所区徴兵慰労義会によって建立されている。
 表忠碑の隣りに、赤穂浪士のひとりである大高源吾の「日の恩や 忽ちくだく 厚氷」の碑がある。建立は、昭和3年(1928)11月10日である。

ももんじゃ
ももんじゃ
江戸の味の立札
江戸の味の立札

 現在の両国橋がかかるあたりは、かつて入堀があり、本所七不思議のひとつにもなっている「片葉の葦」が茂り、俗に片葉堀ともいわれて駒留橋がかかっていた。料理屋・寄席などもあって、東西あわせて江戸第一の繁華のところであった。
 ももんじゃの豊田屋は、享保3年(1718)創業の猪料理である。「ももんじ」とは「百獣」のことで、四つ足の動物の肉を扱う店を「ももんじ屋」と総称していた。

mark回向院(えこういん)
回向院
回向院
本堂
本堂

 回向院は、明暦3年(1657)の明暦の大火後、幕府が本所牛島新田の地60間(約110m)四方に犠牲者を埋葬して塚を立て、建立した寺である。種々の宗派の犠牲者がいたことから、諸宗山無縁寺回向院と名付けられた。

明暦の大火罹災市街の図(江戸東京博物館)
明暦の大火罹災市街の図(江戸東京博物館)

 「明暦の大火(振袖火事)は、明暦3年(1657)酉年正月18日、本郷丸山本妙寺よりの出火と、翌19日、小石川伝通院表門下新鷹匠町・麹町五丁目からとの出火で江戸の過半が焼失し、死者は10万人を超えるものである。明和の大火(行大坂火事)・文化の大火(車町火事)と並ぶ江戸三大火事の一つである。」()

力塚
力塚
鼠小僧次郎吉の墓
鼠小僧次郎吉の墓

 墨田区と相撲の関わりは、明和5年(1768)9月の回向院における初めての興行にさかのぼる。明治時代に入っても、相撲の定場所として、年に二度の興行が開かれ、賑わう人々の姿は版画にも残されている。
 鼠小僧次郎吉の墓は、市川団升が狂言大あたりのお礼に、明治9年(1876)供養墓として建てたものである。鼠小僧の墓石を欠いて持っていると運が強いというまじないかつたわり、墓石を欠くものが多く、代わりの墓石がつぎつぎにつくられている。

mark吉良邸跡(きらていあと)
吉良邸跡(本所松坂町公園)
吉良邸跡(本所松坂町公園)
吉良上野介義央坐像
吉良上野介義央坐像

 「吉良上野介ははじめ鍛冶橋内に屋敷を拝領していたが、元禄14年(1701)8月御用地として幕府に召し上げられ、一時子供の上杉弾正大粥の屋敷に引きあげ、同年9月本所松坂町の松平登之助の屋敷を拝領した。
 元禄15年(1702)12月14日、赤穂浪士四十七士が討ち入りしたところで、忠臣蔵として知られる屋敷は浪士討ち入り後、元禄16年(1703)3月に没収されているから、吉良邸がここにあったのはわずか1年半に満たない期間であったと言われている。
」()

大石内蔵助以下三六名署名義士親類書
大石内蔵助以下
三六名署名義士親類書
吉良邸正門跡
吉良邸正門跡

 現在の本所松坂町公園は、地元有志が発起人となって土地を購入し、東京府に寄付し、昭和9年(1934)公園となったものである。

mark両国公園(りょうごくこうえん)
勝海舟生誕地
勝海舟生誕地
勝海舟幕末絵巻
勝海舟幕末絵巻

 勝海舟は文政6年(1823)、本所亀沢町にあった、父勝小吉の実家である男谷邸内(現、両国公園)で生まれた。幼少期より剣術を修め、蘭学・兵学を学んだ。

江戸開城談判の絵
江戸開城談判の絵
両国公園
両国公園(公園・庭園)

 江戸城総攻撃を目前にした慶応4年(1868)3月14日、幕府の陸軍総裁勝海舟は、薩摩藩島津家中屋敷で東征軍参謀西郷隆盛と会見し、江戸城無血開城と徳川慶喜の水戸隠退を約束させ、江戸を兵火から救った。

mark江戸東京博物館(えどとうきょうはくぶつかん)
江戸東京博物館
江戸東京博物館
常設展示室
常設展示室

 失われつつある江戸東京の歴史遺産を守るとともに、東京の歴史と文化をふりかえることによって、未来の東京を考える博物館として、平成年(1993)3月28日に開館した。

【常設展示室】

日本橋(模型)
日本橋(模型)
寛永の大名屋敷(模型)
寛永の大名屋敷(模型)

幕末の江戸城-本丸・二丸御殿(模型)
幕末の江戸城
天守・本丸・二の丸御殿(模型)
吉野山蒔絵硯箱
吉野山蒔絵硯箱

館内
館内
絵草紙屋(模型)
絵草紙屋(模型)
三井越後屋江戸本店(模型)
三井越後屋江戸本店
(模型)
神田明神行列(模型)
神田明神行列(模型)

両国橋西詰(模型)
両国橋西詰(模型)
助六の舞台(模型)
助六の舞台(模型)
助六の舞台(模型)助六
助六の舞台(模型)助六
助六の舞台(模型)意休
助六の舞台(模型)意休
芝居小屋・中村座(模型)
芝居小屋・中村座(模型)

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