観光コース
北小金駅(JR常磐線)~本土寺~北小金駅(JR常磐線)仁王門は「長谷山」の扁額を掲げた朱塗りの高楼で、階上には金色の千体佛が祀られている。
水戸徳川家からも菩提寺格として寺領を寄進された。小金宿代官の日暮玄蕃などの有力檀越があり、また日像・日輪両上人誕生の霊場として遠近の信徒の参詣を集めた。
松戸の「あじさい寺」「もみじ寺」として観光名所ともなっている。
本土寺は寺内に四院六坊を擬し、下総・上総・武蔵を中心に九十余の末寺・孫末寺を統括する本山である。幕末維新の廃仏毀釈等により一事疲弊したが、近年では五重塔の新築や庭園造営などの境内整備された。
建治4年(1278)鋳造のつり鐘で、県下で2番目に古く、文明14年(1478)本土寺第十代住職日瑞のとき檀那の、設楽助大郎、大伴継長の協力を得て、求めたことが記されている。
「当山は、もと源氏の名門平賀家の屋敷跡と伝えられ、日蓮が長谷山本土寺と命名し、高弟日朗が開堂建立したのが建治3年(1277)であったという。東京池上の長栄山本門寺・鎌倉の長興山妙本寺とともに「朗門の三長三山」と呼ばれた。」(※)
「秋山夫人は、甲斐の武田一族である秋山虎康の娘で、15歳で徳川家康の側室となり、名を於都摩の方または、下山の局と称され、家康の第五子万千代君を生んだ。万千代君は後に、武田信吉を名のり天正18年(1590)に、小金城三万石に封ぜられた。現在の墓石は、信吉の甥、水戸光圀が貞享元年(1684)に建立したものである。」(※)
日像上人は文永6年(1269)8月10日、この御堂に誕生された。七歳で身延に登り学業にはげまれた。
ご誕生水は乳出のご霊水といわれ、七百年の昔よりご利益は不思議な程であり、近年までは祈願者が続いたものである。
銭洗弁財天は古記によると、当山勧請の銭洗弁財天は霊験あらたかにして、流れで銭を洗うことにより福禄倍増したとある。
妙朗堂は、日像・日輪両上人の母君妙朗尼の婦徳を賛えて昭和初期建立された。日像上人ご自刻の尊母のお像が安置されている。
開山堂には、当山開山時に造立された祖像、また別に日郎上人、伝師の御像、歴代の位牌を祀る。
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