箱根湯本駅から桃源台行きの箱根登山バスに乗り、8時過ぎに仙石バス停に着いた。ここから御殿場へ抜ける国道138号を約15分歩き、公時神社入口から少し上がった所に公時神社がある。境内の駐車場には登山者の車が数台停められていた。
金時山(箱根外輪山の最高峰)は、富士山の眺望、花、紅葉と、四季を通じて楽しめる。また、手軽に登れる山として、多くの登山者に人気がある。
公時神社の祭神は坂田金時。幼名を金太郎といい、怪力の持ち主で熊と相撲をとったと童話にある。強健で、武勇に優れた人物として五月人形にもなり、子どもの神、健康の神として広く崇められている。坂田金時に改名し、平安後期の源頼光の四天王の一人といわれた。
公時神社で参拝した後、杉並木が美しい登山道を登り始める。
最初はゆっくりペースで歩き、約20分で金時宿石の前に着いた。この大きな金時宿石には、「金太郎が山姥と一緒に岩の下で暮らしていた」の伝説が残っている。登山道は金時宿石を越える辺りから急勾配になり、全身に汗をかきながら公時神社分岐へ向かった。
公時神社分岐からは、眼下に幾つもの仙石原のゴルフ場が広がり、東方面には明神ケ岳を望むことができる。
公時神社分岐で小休止を取った後、最後の急坂を登り金時山に着いた。
山頂は、富士山に向って幾つものテーブルがつくられており、登山者はテーブルに座りながら、富士山をバックに記念写真が撮れる最高の場所であった。
「「まさかりかついで金太郎、熊にまたがりおうまのけいこ」、あまりにも有名な童謡。つくられたのは明治20年頃と推定されている。箱根の北部にあって、外輪山上にそびえる雄峰である。金時山はかっては山の形から猪鼻嶽と呼ばれていたが、源頼光の四天王の一人坂田公時が、この山で山姥に育てられたという伝説から、江戸時代の後期には金時山とも呼ばれるになった。」(※)
山頂には県境、一市二町の境で金太郎伝説を伝える神奈川県南足柄市・箱根町、静岡県小山町それぞれの市町村を向いて石祠が祀られている。
頂上にある金太郎茶屋と金時茶屋の2つの山小屋があり、売店は多くの登山者でにぎわっていた。
「金時娘(小見山妙子)さんの父・正さんは、富士山の強力で抜群の力もちと云われ、昭和16年(1941)8月には北アルプスの白馬岳の山頂に、188Kg(約50貫)の風景指示盤を背負いあげることに成功しました。
しかし、その時のハードな仕事が災いし、昭和20年(1945)2月、42歳の若さでこの世を去りました。コミさんと親しかった作家新田次郎氏は、その後コミさんをモデルに『強力伝』を発表し「直木賞」を受賞した事はよく知られています。
遺児の妙子さんは、現在も金時山頂で父が建てた山小屋を守り金時娘の愛称で登山者に親しまれている。」(※)
金太郎茶屋の中には、登山回数と名前を書いた木札が、登山回数が多い順に並べられている。なんと、最高回数3600回の木札には驚きの一言であった。
多くの登山者の「金太郎垂れ幕」や「金時ゼッケン」が飾られていた。
金時山から長尾山経由して乙女峠までは約1時間コース、金時山の下山ルートとして利用するのもよい。縦走路では、小さな花や美しい蝶「アサギマダラ」(日本列島を秋には南下し、その子孫が春には北上する)を身近に見ることができた。
乙女峠(自然)からの富士山の眺望は、写真の絶景ポイントとして良く知られ、美しい富士山を撮影することができる。 乙女茶屋のご主人は、「よく晴れた冬の時期には、大勢のカメラマンが乙女峠に登ってくる」と詳しく説明してくれた。
乙女峠には悲しい話がある。昔、仙石原に"とめ"という美しい一人の娘がいた。もっぱら"お"をつけて"おとめちゃん"と呼ばれてきた。重病で苦しんでいる父の病をなんとか治そうと、娘はこの峠を越えて毎夜、祈願にでかけていた。
今回の金時山、乙女峠の登山は2回目だったが、新たな発見があり、また、違う季節に登ってみたいと思った。