稲村ヶ崎は、鎌倉の相模湾岸を由比ヶ浜と七里ヶ浜とに分けている岬で、形が稲東を積んだ「稲村」のようになっていることから、この名がついたといわれている。。岬の先端は、松が茂る絶壁になっているが、手すりのついた展望台として整備され、小公園にもなっている。
「鎌倉時代、稲村ヶ崎は鎌倉の西の境界の地であり、稲村ヶ崎の名が広く知られているのは、新田義貞の鎌倉攻めのとき、義貞が竜神に祈願して海中に黄金造りの太刀を投じて海岸を徒渉したとの故事のためである。」(※)
哲学者の西田幾多郎は、昭和3年(1928)から没するまで稲村ヶ崎に居住していた。
歌碑「七里浜 夕日漂ふ 波の上 伊豆の山々 果てし知らずも」
「明治43年(1910)1月23日の昼下がり、同校ボート部の生徒11人は、逗子小学校の児童ひとりを連れて、みぞれ混じりの悪天候のなか、ボートを海に出し、江の島に向かって、七里ケ浜から乗り出した。沖合に出た頃、たまたま襲った突風が、帆を張ろうとした作業中のすきをついて、ボートを転覆させてしまった。冷たい海中に投げ出された12人は、二度と帰らぬ人となってしまったのである。」(※)
ドイツの細菌学者のロベルト・コッホは、明治41年(1908)弟子の北里柴三郎の案内で極楽寺・霊山山を訪れた記念に、今の海浜公園内に記念碑が建てられた。
【2024年3月 夕景】
稲村ヶ崎から眺める富士山・江の島。岩崖のウミウも見えました。
【2021年9月 星空】
約20分間のインターバル撮影写真の比較明合成写真。
【2017年10月 夕景】
稲村ヶ崎からの展望は、右手に富士山、左手に江の島、眼下に七里ヶ浜海岸を見下ろす眺めは素晴らしい。
台風の余波の大きな波があったが、サーフィンされる方が多く見られた。
台風一過の稲村ヶ崎。江の島と富士山、七里ヶ浜海岸のサーファーの夕景が素晴らしい!
【2001年1月 冬の夕景】