満福寺から海につきでている岩山が小動岬といい、山頂に小動神社がある。かって空海(弘法大師)が護摩をたいたとき、満願の日に松が小さく動きだしたから、小動の地名がついたともいわれる。
「文治年間(1185-90)、源範頼の軍にしたがって源平の合戦で活躍していた佐々木盛綱が、江の島弁財天に参詣の途中、小動山にのぼってその絶景と松並木に感激し、日ごろ信仰する父祖の領地にあった八王子宮を勧請したものにはじまるという。元弘3年(1333)、新田義貞は鎌倉攻めの際に戦勝祈願し、みごと幕府を滅亡させたのちに剣と黄金を寄進したので、その黄金で社殿を再建したと伝える。」(※)
7月第一日曜日から第二日曜日にかけて行われる天王祭は、江の島の八坂神社との共同の大規模な祭で、腰越各町内の五カ所に須佐之男命、義経と弁慶、頼朝などの人形が飾られる。最終日には、両社の神輿がそれぞれ片瀬東浜の腰越側と江の島側で海上渡御を行った後、龍口寺で合流する行合祭が行われる。
小動神社にある展望台(腰越八王子山遠見番所)は、かって番所が置かれ、主に異国船渡来の通報拠点としての役割を担っていた所。ここからの江の島・富士山の眺望がすばらしい。