伊豆観光旅行
(浄蓮の滝・下田・伊豆高原)

週末ウォーキング / 旅行あれこれ / 静岡県

観光コース

天城高原~浄蓮の滝~旧天城トンネル~宝福寺~寝姿山自然公園~伊豆高原桜並木~伊東温泉

mark浄蓮の滝(じょうれんのたき)

 宿泊先の天城高原から伊豆スカイラインの冷川ICで降りて、県道59号(伊東西伊豆線)を通り湯ケ島へ出る。

浄蓮の滝
浄蓮の滝(日本の滝100選)

 天城山系の奥深くにある、伊豆随一の名瀑。高さ25m、幅7mの美しい滝は、平成2年(1990)に日本の滝100選にも選ばれている。入口から200段近くを下れば、水しぶきをあげて落ちる滝を間近に見ることができる。

滝見茶屋
滝見茶屋
山魚の炭火焼
山魚の炭火焼

石川さゆりの「天城越え」
石川さゆりの「天城越え」
「伊豆の踊子」像
「伊豆の踊子」像

 踊子歩道は天城の象徴ともいえる浄蓮の滝が起点とし、曲がりくねった道を進むと旧天城トンネルや松並木が現れ、釜滝を皮切りに7つを数える河津七滝とも次々に出会える。湯ケ野の伊豆の踊子碑でゴールである。

mark旧天城トンネル(きゅうあまぎトンネル)
川端康成のレリーフ
川端康成のレリーフ
伊豆の踊子文学碑
伊豆の踊子文学碑

 「川端康成は明治32年(1899)大阪生れ。東京帝国大学国文学科卒業。一高時代の大正7年(1918)の秋に初めて伊豆へ旅行、旅芸人の一行と知り合う。以降約10年間毎年、伊豆湯ヶ島湯本館に長期滞在する。菊池寛の了解を得て大正10年(1921)、第六次「新思潮」を発刊。新感覚派作家として独自の文学を貫いた。昭和43年(1968)ノーベル文学賞受賞。昭和47年(1972)4月16日、逗子の仕事部屋でガス自殺を遂げた。」()

天城路
天城路
天城山隧道
天城山隧道

旧天城トンネル
旧天城トンネル(天城山隧道)(国重要文化財)

 天城山隧道は、下田街道の改良工事の一環として、明治34年(1901)に貫通、同37年に完成した。全長445.5メートル、幅員4.1メートル、トンネル両側の杭門及び内部全体が切石積で造られ、川端康成の小説「伊豆の踊子」をはじめ、多くの文学作品に登場するトンネルとして広く親しまれている。

mark宝福寺(ほうふくじ)

 宝福寺は下田開港に伴い新たに設置された下田仮奉行所だった場所。米総領事タウンゼント・ハリスに仕えていた唐人お吉の菩提寺でもある。敷地内の奥には唐人お吉記念館があり、お吉とハリスの遺品や写真などのほか、当時の文化・風俗もうかがえる。

お吉の墓
お吉の墓

 唐人お吉は本名を斉藤きちといい、天保12年11月10日、愛知県知多郡内海(うつみ)に、舟大工市平衛の次女としてこの世に生をうけました。4歳のとき家族が下田に移り住み、14歳で芸妓となった。17歳の時、法外な年棒と引換に心ならずもハリスのもとへ侍妾として奉公にあがることとなる。

mark寝姿山自然公園(ねすがたやましぜんこうえん)
下田港を望む
下田港を望む

下田ロープウェイ
下田ロープウェイ
寝姿山自然公園
寝姿山自然公園

 「寝姿山自然公園は伊豆急行下田駅前から山頂へ下田ロープウェイで約3分。下田市街から見ると女性の寝姿に似ているところから「寝姿山」と呼ばれています。大島をはじめとする伊豆七島や御用邸のある爪木橋、ペリー提督率いる黒船が投錨した下田港、そして美しい山並みを見せる天城連山など雄大な楽しむことができる。」()

砲台と幕末見張所跡
砲台と幕末見張所跡
大島桜
大島桜

 展望台付近では菜の花と桃の花が咲き、また砲台と幕末見張所跡の大島桜も少しづつ開花していた。公園内には愛染明王堂、お地蔵様、五島記念館、蓮杖写真記念館など観るところも多い。

mark伊豆高原(いずこうげん)
伊豆高原桜並木
伊豆高原桜並木

 下田から伊東温泉に戻る途中、桜まつり初日(3月29日)の伊豆高原桜並木に寄って見た。伊豆高原桜並木は、伊豆急行の伊豆高原駅前から大室山に続く道沿い約3キロメートルにわたって続く。

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