薬師寺は天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたもの。当時は南都七大寺の一つとして、その大伽藍はわが国随一の壮美を誇りました。
金堂は、薬師寺縁起によると二重二閣、五間四面、瓦葺の建物で各層に裳階をつけた美しい堂で、竜宮造りと呼ばれている。薬師寺白鳳伽藍は、金堂を初めとして東塔の意匠ですべて統一されている。また、「堂内の荘厳は美をつくし、燈火がなくても金色に光り輝いた」と伝えられている。
「薬師三尊像は薬師如来を中心に、向って右が日光菩薩、左が月光菩薩、あわせて薬師三尊。薬師如来は、東方浄瑠璃浄土の救主で、またの名を医王如来とも言い、私たちの身と心の病気を救ってくださる仏さまです。脇侍の日光・月光両菩薩は、動きのある美しい姿で、理想的な写実美を完成した仏さまと言われている。」(※)
西塔は、東塔にくらべて幾分高いが、100年後には、建材に使用している木の収縮により、東塔と同じ高さにまで縮むという。
東塔は、「平成の修理」の中で、2020年完成予定である。
大講堂は正面41m、奥行20m、高さ17mあり、伽藍最大の建造物。講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、これは南都仏教が教学を重んじて講堂に大勢の学僧が参集して経典を講賛したためである。大講堂の本尊には彌勒三尊像、後堂には仏足石・仏足跡歌碑が安置されている。仏足石の両脇に釈迦十大弟子も祀られている。