「このブロンズ像は、国内トライアスロン発祥の地を記念して昭和60年(1985)に建立された。作者は米子出身の彫刻家・石田明氏で、作品名は「夏」。日本国内のトライアスロン競技が、いつまでも安全で発展するよう願いが込められている。
日本のトライアスロンは昭和56年(1981)に、ここ皆生温泉で産声を上げた。皆生温泉開設60周年記念事業として若手経営者たちが企画した。第1回大会の参加者は53名。ブロンズ像の隣には、この勇気あるチャレンジャーたちの名前を刻んだ碑がある。」(※)
「海底から湧き出すお湯を安定的に利用するのは当時の技術では難しく、本格的に開発が始められたのは大正9年(1920)のこと。泉源を安全な場所に開発・維持し、集中的に配湯できる仕組みをつくり、一帯の土地を整備して本格的な都市計画を策定し、さらに米子駅から電車を走らせるなどの交通計画を進めたのが有本松太郎翁である。」(※)
「皆生温泉は明治33年(1900)に皆生海岸の浅瀬に湧き出る熱湯を漁師が偶然発見し、その後、有本松太郎翁によって山陰随一の温泉歓楽街として開発が進んだ。発見から100年以上経つ現在でもその豊富な湯量はいささかの衰えもなく、滾々と湧き出している。
当時よりございました「菊水旅館」の別館として「菊水別館」の名でこの地に立ったのが昭和39年1月1日。当時、鉄筋コンクリート式の旅館として皆生温泉初、非常に大きな注目を集めました。 現在の屋号「皆生菊乃家」に変えたのは平成元年。」(※)
皆生温泉の目前に広がる海岸が皆生海水浴場である。「日本の水浴場88選」にも選ばれるほど水質が良好で快適な海水浴場は、夏ともなれば多くの海水浴客で賑わいを見せる。