「山陰で鉄道が敷かれたのは境線が最も古く、やがて山陰本線、 伯耆線が開通した。鉄道の開通によってそれまで盛んであった米子の海運は衰えたが、経済・社会の近代化は大きく促進された。米子市は昭和2年(1927)4月の市制施行後も交通の要地という地の利を得て山陰の中核産業都市として発展し、今日に至っている。山陰鉄道建設、発展に尽くされた先人の功績をたたえると共に、21世紀におけるさらなる発展を願って、ここに記念碑を建立する。」(※)
C57型蒸気機関車は昭和12年(1937)以降旅客列車用として201両製造され、数ある蒸気機関車の中でも最も機能美を備え、その雄姿は「貴婦人」の愛称で親しまれました。
このモニュメントは、米子という地名の「米」という文字を視覚的に具体化することを念願に、各国の人々を合掌して迎える形をとり入れたものである。