旧大社駅本屋は明治45年(1912)に国鉄大社駅の開通により開業され、大正13年(1924)2月に新たに改築された。出雲大社の門前町にふさわしい、純日本風の木造平屋建てで、和風趣向の際立つ建物である。
駅舎の威風を誇る屋根にもいろいろと特徴がある。中央には千鳥破風が取り付けられ、また、棟には鴟尾(しび)が乗り、各破風には懸魚(げぎょ)が付けられています。瓦はいずれも特製で、一般の物より大きく玄関中央の懸魚の上野瓦は国鉄マークである動輪の瓦がある。
高く設計された天井からは大正風の灯篭型の和風シャンデリアが玄関を含めて30個備え付けてある。待合室は正面向かって右手が二等待合室、中央の大きな一般待合室と二つあり、昭和初期までは分けて使用されていた。
日本の代表的蒸気機関車「デゴイチ」は我が国の機関車発展史上の最盛期にふさわしく、国鉄の総合技術の粋を結集し、D50型の近代化改良型として昭和11年(1936)に1号機が生まれた。山陰線開通以来雨の日も風の日も一日も休むことなく、力強く走り続けた蒸気機関車が姿を消すこととなり、昭和49年(1974)11月30日に本州を最後に走ったのが、この"D51形774号機"である。
勢溜坂下から旧大社駅本屋までの通りの途中、宇迦橋のたもとに立つ鳥居。高さは出雲大社本殿より1m低い23m、柱の周囲6m、直径は2mの鉄筋コンクリートの鳥居である。
「七福神でよく知られる大黒天は、室町時代以降、音が通じていたからなのか大国主命と習合された。「大きな袋を肩にかけ、大黒様が来なさると・・・」の歌で有名な因幡の白兎の話で思い出す。片手に打出の小槌をもち、俵の上にニコニコ顔で座っている在福の神大黒様は、出雲大社の御師たちの積極的な宣伝活動により、近世以降、良縁を結ぶ幸せの神としても意識されるようになった。」(※)
寛文6年(1666)に長州藩三代藩主毛利綱広が寄進した銅鳥居である。この銅鳥居を抜けると、昭和38年(1963)に新築された、第二次世界大戦後、日本の木造神社建築である拝殿がある。
拝礼は、出雲大社独特の拝礼「2礼4拍手1礼」である。
現在は「平成の大遷宮」に伴い、平成25年(2013)5月に予定されている本殿遷座祭までは拝殿が大国主大神の御仮殿(仮住まい)となっている。
出雲大社は大国主大神がまつられている本殿は大社造で、天照大神をまつる伊勢神宮の神明造とともに神社建築の代表的な様式である。切妻造・妻入りで厚い檜皮葺きの屋根の棟の上には、長さ7.9mの千木2組と長さ5.45mの勝男木3本が載っている。
御祭神 天穂日命。
伊勢神宮におまつりしてある天照大神の第二の御子神で出雲国造の家(宮司家)の先祖である。神傑と讃えられ、いわゆる国譲りにその功をあらわされ、天照大神の御言葉によって出雲大社が宮造りされて、大国主大神がお鎮りになると共に、その祭祀としておつかえすることになられた。
末社十九社本殿は大国主大神が「縁結びの神」であることから、旧暦10月には全国の神々が出雲大社にお集りになって人々の幸福発展のたるに神議なさる神事が行われる。この末社は、その時の神々のお宿で平素は神々を遙拝するところである。現在でも出雲では、旧暦10月を神在月と言われ、他地方では神無月と言われている。
神楽殿はもともと明治12年(1879)出雲大社教が組織化された当時、その教化のために大国主大神さまを本殿とは別におまつりしたことに由来する。現在の建築は昭和56年(1981)に新築された。その大広間は270畳敷きの広さをほこり、神社建築にはめずらしく、正面破風の装飾にステンドグラスが使われている。
神楽殿に掛かる注連縄は長さ13m、重さ4.5tは日本最大級である。