5間重層の門、応永年間(1394-1428)の再建で、禅宗寺院の三門の中では最大にしてもっとも古い。楼上に3畳分の足利義持筆扁額「妙雲閣」を掲げ、釈迦三尊と十六羅漢像を安置する。
昭和9年(1934)再建の木造建築である。法堂を兼ねた5間×3間の単層の建物で、再建時に、三聖寺の木造釈迦如来及迦葉阿難立像を万寿寺から遷し、本尊とした。仏殿東南の柱を日蓮柱といい、聖一国師が日蓮を庇護したことにちなみ、寄進されたものといわれている。
聖一国師は、天皇より初めて国師号を贈られた禅僧で、33歳で宋に渡り、杭州径山万寿寺の佛鑑禅師の法を嗣ぎ、6年を経て帰朝。九條道家に都に迎えられ東福寺を開山した。
僧堂・選仏場ともいう坐禅専修の道場で、9間×6間の単層の建物である。貞和3年(1347)の再建で、宋国径山寺無準師範筆「選仏場」の扁額が掲げられ、内部に文殊像や聖観音像が安置される。
東福寺のイブキは、江戸時代中頃の安永9年(1780)に刊された『都名所図会』には「円柏の古樹し開山国師、宋国わり携へ来る」という記載とともに鳥瞰図の中に「唐木」として描かれている。
仏殿と開山堂(普門院)の間の渓谷(洗玉澗)に架かる細長い橋廓をいい、普明国師筆「通天橋」の扁額がかかる。天授6年(1380)につくられたと伝えるが、現在の橋は昭和36年(1961)再築されたものである。なお、洗玉澗一帯は、古来、紅葉の名所とうたわれており、現在でも時期になると多くの人が詰めかける。
京都に現存する数少ない八角小円堂で、優雅に丹塗りで彩られている。昭和9年(1934)に移築された。その横にある高さ2mの五輪石塔は、重量感あふれる鎌倉時代のものである。
媚上に三代将軍足利義満筆「霊光」「勅誼大明国師」を掲げ、堂内には木造大明国師坐像を安置する。
庭園は、普門院の前庭を兼ねた池泉観賞式の庭園で、参道を境に西側は市松模様に白砂を配した枯山水の平庭で、東側は枯滝や石組み、刈込み、池を配した山水庭園となっている。
単層・柿葺きの屋根をもつ現存最古の方丈建築で、桁行7間・梁間5間の建物で、三代将軍足利義満の筆で「龍吟庵」と記す扁額を掲げる。
昭和の名作庭家・重森三玲の作で、「八相の庭」と命名され、近代庭園の傑作とされる。方丈の東西南北に四庭をもつ。
向唐破風の表門(恩賜門)は昭窓皇太后の寄進と伝わる。
西庭は、さつきの刈り込みと砂地とを葛石で方形に区切り、大きく市松模様に図案化する。
ウマスギゴケの緑との対比も色鮮やかな市松模様の敷石は、もと恩賜門に使われていたものである。サツキの丸刈りとの調和が見事である。