散歩コース
駒場東大前駅(京王井の頭線)~駒場公園~旧前田家本邸洋館・和館~駒場野公園~駒場東大前駅(京王井の頭線)旧前田家本邸洋館の保存整備工事を終え、平成30年(2018)10月27日より一般公開が再開された。(※コメントは、特別企画「東京文化財ウィーク」(平成30年10月28日~11月4日)期間中のパンフレット資料を参考にしています)
日前田家本邸の屋敷地は昭和42年(1967)、駒場公園として開園された。敷地の全体配置は前田家が居住していた項の姿を現在も良く残している。
旧前田家本邸は、加賀藩前田本家十六代当主の侯爵前田利為候(1885-1942)の居宅として昭和3年(1928)から昭和5年(1930)にかけて建設された。洋館は家族の生活の場であるとともに迎賓館としても利用できる設計された。
煉瓦に見えるのは、表面に引っ掻き傷をつけたスクラッチタイルで、この時代の建物装飾に多く用いられた。彫刻を施した大華石は凝灰岩の一種で日華石ともいい、石川県小松市で産出される。柔らかく温かみのおる黄色い色が特徴である。
大客室はお客様をもてなし、くつろいで過ごしていただくための部屋である。
晩餐会のための部屋で、最大で26人までのディナーが出来たという。
前田家の晩餐会などで使用された銀食器類は、英国王室御用達のマッピン&ウェッブ社にて誂えられた。
イングルヌックは暖炉脇ま暖かな小さなスペースをといい、ここでは、大階段下の窪みを利用した小さな談話室のような空間である。
中庭に画した縦長3連アーチのガラス窓から大階段に柔らかい光が差し込む。
長女居室は2室に仕切ることもできる広い部屋で、カーテンは書斎と同等のものを用いているが、壁紙や絨毯の柄は、可愛らしものに替えている。
利為候の書斎で、邸内で最も重厚な雰囲気の部屋である。壁はチーク材のパネルと金唐紙で装飾され、床は寄木モザイクに絨毯を敷き込みされている。
次の間は書斎の前室で、内装も書斎ほぼ同じ。洋間の造りに合わせた床の間を備えている。
次女居間は書斎の付属室(図書室)として計画された部屋で、壁一面に書棚が造り付けられている。
夫人室は菊子夫人の居間で、家族団欒の場である。鏡付きの優美なマントルピースには小菊模様のグリルをはめ、三連アーチの窓や格子天井もやさしい雰囲気がある。
寝室の枕元の壁龕には前田家当主の守り刀が置かれていた。
三女居間は円形状の張り出しに三連アーチの窓を配した優美な部屋で、天井の縁廻しシャンデリアも優美なものである。
展示室は、金沢の伝統工芸などが展示されている。
前田家の評議員が集まった会議室で、利為候が陸軍の部下を招いて宴会を行うこともあった。
利為候は、昭和2年(1927)からは駐英大使館附武官として渡英。昭和5年に帰国後は、新築した駒場本邸で家族とともに暮らした。余暇には子供たちと庭園でゴルフや乗馬に興じ、イギリスの田園地帯を髣髴とさせる閑静な駒場での生活を楽しんでいた。
洋館南側には屋根付きのベランダがあり、半屋外として利用できる。特に1階のベランダは、サロンや大客室から芝庭へ続く外回廊のような空間で、3連アーチが見事である。
南側は列柱廊とバルコニーを設け、広い芝庭では園遊会等が行われ、バルコニー上部の両側には、翼の生えたライオン像が置かれている。
植物プランターは、前田家の幼剣梅鉢紋をあしらってある。
壁泉は、カスケード(段滝)となって水が流れ落ちる仕掛けになっている。
和館は、主に外国からの賓客をもてなすために建てられ、四季折々の前田家の行事にも用いられた。木造2階建の近代和風建築で、庭園側から見ると銀閣寺と似ている。
和館の門は唐破風が横につく平唐門の形式で、唐破風頂部に幼剣梅鉢紋の瓦を載せている。
1階は、主室「御客間」と次の間「御次之間」と合わせて40畳近くある続き間を、周囲を畳廊下や入側でぐるりと囲む、特徴的な平面になっている。
大広間は付書院、床、違い棚を備えた書院造になっている。
畳廊下の杉戸絵は明治期を代表する日本画家・橋本雅邦筆の美しい四季図で本郷邸で使用していたものである。
前茶室の方角に円窓を設けている。
池泉庭園は流れを中心とした設えで、灯篭や景石の一部は、本郷邸(現、東京大学本郷キャンパス)や根岸邸から移設したものと伝わる。
茶室の席は四畳半席で、千宗旦が隠居に際し造立した裏子家の代表的茶室である「又隠」の写しである。
故高見順ら文学者が中心となって、近代文学の資料の収集・保存・展示などの目的で昭和42年(1967)開設にこぎつけたものである。資料は文献を中心に集め、カードに整理しており、立派な閲覧室もあって、図書館的機能に重点を置いている点に特色がある。
駒場野公園は、明治のはじめに近代農業の総合的教育研究機関として駒場農学校が開校した場所である。園内にはスポーツ施設、プールの水を利用した流れ。原っぱ、ケルネル水田、果実園、雑木林、池などがある。
かつての駒場農学校の一部で明治14(1881)年、ドイツ人教師オスカル・ケルネルが、ここで肥料試験をしたことからこの名がある。その後、東京大学農学部用地をへて、東京教育大学農学部(現筑波大)の実験田となり、今も筑波大附属駒場中・高校生が毎年田植えを行なっている。都内では、皇居や小石川後楽園の水田とともに珍しい存在である。
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