大隈庭園~椿山荘~江戸川公園
(高田馬場~護国寺)

高田馬場駅(JR山手線)~学習院旧正門~穴八幡宮~大隈庭園~関口芭蕉庵~椿山荘~江戸川公園~護国寺駅(営団地下鉄線)
mark学習院旧正門(がくしゅういんきゅうせいもん)
学習院旧正門
学習院旧正門(国重要文化財)
学習院女子中・高等科新教室棟
学習院女子中・高等科新教室棟

 鋳鉄製の門 は、はじめ明治10年(1877)に学習院が神田錦町に開かれた時、正門として建てられた。制作は埼玉県川口市の鋳物工場で、唐草文様をあしらった和洋折衷の鉄門は、明治初期の文明開化時の様式と技術を伝える貴重な文化財である。
 神田錦町の学習院校舎が明治19年(1886)焼失したあと、この門は各所を転々としたが、昭和5年(1930)目白の本院構内にもどり、その後昭和25年(1950)にこの地に移され、現在、学習院女子大学・学習院女子高等科・学習院女子中等科の正門として使用されている。

mark穴八幡宮(あなはちまんぐう)
穴八幡宮
穴八幡宮
光松門
光松門

本殿
本殿

 三代将軍徳川家光の崇敬した神社といわれ、境内には「慶安2年(1649)」の銘文のある布袋像水鉢や庚申塔なとが残っている。高田馬場の地名は、この神社の祭礼に流鏑馬の神事が行われ、その式場となる馬場に起因するといわれる。

流鏑馬像
流鏑馬像

 「高田馬場の流鏑馬」は、享保13年(1728)徳川将軍吉宗が世嗣の疱瘡平祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、以降将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場で流鏑馬が奉納された。毎年10月10日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。

流鏑馬奉納
流鏑馬奉納
三の的
三の的

三の的
三の的
射手
射手

2016.10.10 高田馬場流鏑馬(穴八幡宮流鏑馬神事)
2016.10.10 高田馬場流鏑馬(穴八幡宮流鏑馬神事)
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mark早稲田大学(わせだだいがく)
エミレの鐘
エミレの鐘
早稲田大学校歌「紺碧の空」
早稲田大学校歌「紺碧の空」

 梵鐘は、新羅の聖徳大王神鐘(エミレの鐘)を縮小した複製で、大学の創立100周年を祝して昭和58年(1983)に韓国校友会から寄贈いただいた。

大隈会館
大隈会館
芝生広場
芝生広場

大隈庭園
大隈庭園

 大隈庭園は、井伊掃部頭・松平讃岐守の下屋敷にあった和洋四条家風の名園を本学創立者大隈重信が文化風に改造したものである。没後、邸宅とともに大学に寄贈されました。昭和20年(1945)5月の空襲で庭園は廃墟と化しましたが、多くの人々の努力により、ほぼ昔の景観どおりに復元され、今日に至っている。

早稲田大学大隈記念講堂
早稲田大学大隈記念講堂(国重要文化財)

 早稲田大学大隈記念講堂 は、創立者である大隈重信に対する記念事業として計画され、同大建築学科の佐藤功一教授と佐藤武夫教授が設計し、同教授の内藤多仲が構造を担当し、昭和2年10月15日に竣工した。早稲田大学のシンボル的存在であり、ロマネスク様式を基調としてゴシック様式を加味した我が国近代の折衷主義建築の優品として、高い評価がある。また早稲田大学建築学科で永く、多くの建築家を育てた佐藤功一の代表作としても重要である。

mark関口芭蕉庵(せきぐちばしょうあん)
関口芭蕉庵
関口芭蕉庵
神田川河畔
神田川河畔

 この地は、江戸前期の俳人松尾芭蕉が、延宝5年(1677)から延宝8年(1680)まで、神田川改修工事に参画し、「龍隠庵」と呼ばれる庵に住んだと伝えられている。後に世人は「関口芭蕉庵」と呼んだ。享保11年(1726)、芭蕉の33回忌に当たり、芭蕉の木像を祀る芭蕉堂が建てられた。その後、去来・其角・嵐雪・丈草の像も堂に安置された。
 芭蕉は、早稲田田んぼを琵琶湖に見立て、その風光を愛したと言われている。そこで、寛延3年(1750)宗瑞・馬光らの俳人が、芭蕉の真筆「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」の短冊を埋めた墓とした。この墓を「さみだれ塚」と称した。塚は芭蕉堂の近くにある。芭蕉庵の建物は、昭和13年(1938)3月、近火で類焼したが、同年8月再建された。しかし、昭和20年(1945)5月の繊細で焼失した。(今回、東日本大震災のため閉館中)

mark椿山荘(ちんざんそう)
冠木門
冠木門
長松亭
長松亭

フォーシーズンホテル椿山荘東京
フォーシーズンホテル椿山荘東京
御神木
御神木

 御神木は、当庭園における最古の樹木として保存されている。樹齢500年、高さ20m、根元周囲4.5m。

ほたる沢の説明板
ほたる沢の説明板
ほたる沢
ほたる沢

 2011.5. 21~7.21の間、「ほたるの夕べ2011」が開催される。(椿山荘のイベント)

恵比寿
恵比寿
古香井
古香井

 恵比寿様は商売繁盛や豊漁をもたらす、商業や漁業の神。右手に釣竿、左手に鯛をかかえる姿がなじみ深い守護神である。
 古香井は、古くから東京の名水に数えられた由緒ある湧き水。秩父山系からの地下水が湧き出されているもので、ミネラル・カルシウムを豊富に含んだ弱アルカリ性の水で健康には最適とされている。大正12年(1923)の関東大震災の際には被災者用に開放され、その渇きをいやしたといわれている。

三重塔
三重塔

 三重塔は、平安時代の歌人として名高い参議・小野篁ゆかりの篁山竹林寺(広島県)にあったものである。長い間修理の手が行き届かず大破し放置されていたのを、大正14年に藤田平太郎男爵が譲り受け、椿山荘に移築したものである。創建の年代は明らかではないが、室町時代末期の作と推定されている。東京都内に現存する古塔は上野寛永寺五重塔池上本門寺五重塔、そして、この椿山荘三重塔だけで、貴重な文化財である。

庭園「椿山荘」
庭園「椿山荘」

 林泉回遊式庭園の椿山荘は、明治の元勲山県有明公爵の命名によるものである。ここ椿山荘周辺は古来より椿の自生する景勝の地として知られ、南北朝時代の頃から「つばきやま」と呼ばれていた。江戸時代の代表的な浮世絵版画家・安藤広重の作品『名所江戸百景』でも取り上げられている。

mark江戸川公園(えどがわこうえん)
神田川桜並木
神田川桜並木
神田上水取水口の石柱
神田上水取水口の石柱

 神田上水取水口の石柱は、井の頭池を源流とするわが国最初の神田上水は、関口の大洗堰(現在の大滝橋あたり)で水位を上げ、上水路(白堀)で、水戸屋敷(現、小石川後楽園)に入れた。そこから地下を樋で、神田、日本橋方面に給水した。この大洗堰の取水口に、上水の流水量を調節するため「角落」と呼ばれた板をはめこむための石柱が設けられた。ここにある石柱は、当時のもので、昭和8年大洗堰の廃止により撤去されたものを移した。なお、上水に取り入れた余水は、お茶の水の堀から隅田川へ流された。

江戸川公園
江戸川公園
江戸川橋
江戸川橋

 江戸川公園は、関口台地の南斜面の神田川沿いに広がる東西に細長い公園である。園内には、西洋風の山小屋を模した時計塔のある四阿(あずまや)、藤棚のテラスなどがあり、変化に富んだ景観となっている。テラスの先には石組みの池があり、神田上水取り入れ口に使用されていた大洗堰を復元している。斜面には浮き橋状の遊歩道があり、斜面の樹木をいためないようになっている。川に沿ってソメイヨシノが続く。

江戸川公園
江戸川公園
大井玄洞翁の胸像
大井玄洞翁の胸像

 江戸川(現、神田川)の治水事業は沿岸の人々にとって、永年の願いであった。明治43年 (1910)の大洪水の後、大井玄洞翁は、人々の願い実現に努力し、大正2年護岸改修に着工させ、同8年に完成させた。人々は、翁の功績をたたえ、永くその徳を伝えるために、昭和3年(1928)、江戸川公園内の当所に胸像を建てた。

神田川(江戸川橋より)
神田川(江戸川橋より)

⇒ 早稲田周辺 ウォーキングマップ