上星川駅南口から商店街通りを抜け、正面の両郡橋交番を左に曲がると、帷子川に架かる両郡橋に出る。
両橋橋の真下には、大きなコイが沢山泳いでいる。ここを通り過ぎる人達も、物めずらしくコイを眺めたり、また私と同じように写真を撮っている人もいた。
少し先に行くと蔵王高根神社があり、ここから西谷浄水場までは坂道が約15分続く。坂を登るにつれて段々見晴らしが良くなってくるので、多少汗をかくが気持ち良く歩ける道です。
西谷浄水場に入ると、正面に横浜水道記念館がある。展示室では、横浜市の水道の歴史を詳しく勉強することができ、さらに、展望室からは横浜の風景が360度見渡すことできる。
英国陸軍工兵中佐ヘンリー・スペンサー・パーマーによる近代水道が横浜に完成したのが、明治20年(1887)だった。着工から2年半、相模川の水が野毛山浄水場を経て待望の居留外国人と横浜市民に供給された。
西谷浄水場は、市内4カ所の浄水場の1つで、道志川と相模湖を水源して、延長42kmの導水管で運ばれ、沈殿・浄化・滅菌され、西・中・南・保土ヶ谷・神奈川区へ市民の使用量の3分の1を供給する。1日の給水能力35万6000tです。
噴水塔は、明治20年(1887)横浜の近代水道創設を記念して、当時の横浜停車場(現、桜木町駅)の広場に設置されたものである。
ミツバツツジは、横浜水道100周年を記念して、旧三井用水取入口(近代水道100選・明治20年創設水道の取水施設)がある津久井町より、町の木(山モミジ)・町の花(ミツバツツジ)の寄贈を受けた。
1500ミリ逆止弁は、臨時導水増強工事(昭和36年~37年)で相模湖系管に南村導水加圧ポンプ出口の逆流防止用として設置されたものです。
42インチ仕切弁は、第3回拡張工事第2期(昭和14年)に増設された青山沈殿池に設置されたものです。
36インチ鋳鉄管は第2回拡張工事(大正4年)において、大島接合井から川井浄水場までの間(18,981m)の道志川系導水管として敷設されたものです。
転鐶彎管は青山沈殿池に設置された両口浮動管の一部で、転鐶彎管、亜鉛メッキ鉄製浮子、ならびに浮腕により構成されたものです。
シンプレックス型沪過流量調節器は昭和初期に作られたもので、西谷浄水場旧第1急速沪過池に使用したものです。
逆流洗浄流量調節器は、旧第1急速沪過池の逆洗本管に設置されたものです。
ルーツ型75馬力送風機はジュエル式沪過において水による逆流洗浄に先立って、砂層をゆるめてかくはんするための空気源とし旧第1急速沪過池に設置されたものです。
1,100Kw導水加圧ポンプは臨時導水増強工事(昭和36~37年)で、当時の急激な水需要の増加に対応するため、南村ポンプ場の1,500ミリ導水管に設置されたものです。
いこいの広場からは、横浜ランドマークタワー、みなとみらいの高層ビル等が良く見える。
春には、桜の名所としてとして親しまれている。
ここに置かれている石は、神奈川県の将来水源として宮ケ瀬ダムが建設される中津川から、横浜水道創設百周年を記念して、この地に移設されたものです。
保土ヶ谷区西谷浄水場近くで撮影した「中秋の名月」。
横浜みなとみらいで開催された『首都圏最大級25分間で約20,000発の花火大会』です。
横浜みなとみらいで開催された花火大会を、自宅近くからニコンP900カメラで望遠撮影。
保土ヶ谷区にて望遠レンズ300mmで撮影。映像と音声のズレがあります。
横浜水道記念館付近から撮影した、横浜みなとみらいに昇る満月(スーパームーン)です。
自宅から眺めた「中秋の名月」と「十三夜の月」の動画です。