和田町駅北口から帷子川に架かる和田橋を渡ると、左手に和田地蔵尊がある。和田地蔵尊は元禄2年(1689)の建立で、地元では「お地蔵さま」の名で親しまれている。
4年ぶりに「和田地蔵まつり」(令和5年月23日~24日)が開催された。和田町商店街中央通りでは、地元の方々で賑わっていた。
中でも、「猿まわし」が行われる場所では、子供たちが大勢集まっていた。
24日の夕方からは、中央会場で川島囃子・藤塚太鼓・フラダンスなどの催し物があった。
和田町商店街を抜けると国道16号線に出る。さらに真すぐ進むと、関東三十六不動尊の第4番札所の真福寺(和田不動尊)に着く。
「お地蔵さまは元和田町駅裏手の台地にあったものです。その台地には昔浅間宝寺という寺があったが、平家の残党を隠したというので焼き討ちに合い、焼け跡から沢山の遺骨が出てきた。亡きその霊を慰めるため、真福寺を建てた田口重勝の弟の重信が地蔵堂を建立して祀ったものです。」(※)
「大聖山真福寺は、源頼朝に仕えた源氏の武将・和田義盛が治承元年(1177)に建立したと伝えられる。
関東三十六不動4番、武相不動尊霊場15番で、当地の豪族田口平兵衞尉重勝が、元和元年(1615)に再建して中興、大阿闍梨法印秀頴を中興開山としたと言われている。」(※)
僧形文殊菩薩像の立札には、「是非心に念じながら、静かに撫でてご利益をお受け下さい」と書かれている。
境内には、紅白のボタンが咲いていた。
「真福寺の境内地にある和田大明神に掲げられている『略 縁起』には、治承年中(1170~1180)、和田義盛が平家打倒をめざす源頼朝についてこの地に宿をとった時のこと。義盛の夢に観音様が現れ「お稲荷様を信じれば、必ず悲願が成就する」と告げた。のち、征夷大将軍になった頼朝は建久4年(1193)の春、狩りに向かう途中で再びこの地を訪れる。同稲荷を参拝した頼朝は義盛の「和田」の名を冠し「和田稲荷」と命名した。」(※)
保土ケ谷の富家であった岡野欣之助が、自らの資産を投じて常盤台一帯に所有していた別荘「常盤園」を造成し、大正3年(1914)10月に一般公開された。
遊具広場の傍には、鎌倉有力御家人であった畠山重忠の慰霊塔が建てられている。
園内には、運動広場、テニスコート、遊具広場などがある。ただ、新型コロナウイルス感染の影響により、訪れる人・子供達は殆どいなかった。
常盤台キャンパスは、保土ケ谷区常盤台79番1号に本部を置く国立大学です。
園内にはブランコとすべり台が設置されており、地元の子供たちの遊び場になっている。
「「釜台公園」から「ルネ上星川」にかけての台地上一帯は、上星川遺跡と呼ばれている。縄文時代早期後半(約7000年前)の土壙2基、弥生時代後期(約1800年前)の竪穴住居跡16軒のほかに、多くの弥生土器、縄文土器、そして弥生時代の首飾りである勾玉や糸を紡ぐときに用いる紡錘車が見つかりました。なかでも弥生時代の竪穴住居跡は、周辺地域でも数少なく、当時の人々の生活を知る上で、貴重な発見となりました。」(※)
高台にある公園なので、横浜市街地の眺めが素晴らしい。
8年ぶりの満月、横浜から眺めた「中秋の名月」です。何とか、雲の晴れ間から綺麗な満月が見えました!
偶然に月の中(下部)に、ほんの少しですが、飛行機が映っていました。
月に「新型コロナウイルスの早い収束」を願いたいものですね!