海老名 史跡散歩
(かしわ台~海老名)

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散歩コース

かしわ台駅(相鉄本線)~秋葉山古墳群~龍峰寺~弥生神社~相模国分尼寺跡~相模国分寺跡~海老名市温故館~相模国分寺~河畔公園~有鹿神社~海老名駅(相鉄本線)

mark秋葉山古墳群(あきばやまこふんぐん)
秋葉山古墳群(国史跡)
秋葉山古墳群(国史跡)
古墳群の模型(海老名市温故館の展示)
古墳群の模型(海老名市温故館の展示)

 秋葉山古墳群が築かれ始めた時代、邪馬台国の女王卑弥呼の跡を継いだ台与の時代と重なり、大型の古墳が作り始められるという大きな変化が始まる時期でした。

 座間丘陵の頂部に立地し、海老名市内で最も標高の高い場所にあり、北から第4号墳・第5号墳・第3号墳・第2号墳・第1号墳と5基の墳墓が地形にそって連なっています。

第1号墳
第1号墳
第2号墳
第2号墳

 第1号墳は、全長58mの前方後円墳で前方部で周溝が確認され、くびれ部から土師器の小型壷や鉄鏃が出土した。
 第2号墳の墳丘は全長50mの前方後円墳、墳丘の裾に部分的に溝が掘られ、埴輪や土師器壷などが出土した。

第3号墳
第3号墳
大和厚木バイパス陸橋から大山の眺め
大和厚木バイパス陸橋から大山の眺め

 第3号墳は現在は径39mの後円部のみ残っている。周溝部や墳項部から土師器の壷や高杯・鉢が出土した。

 秋葉山古墳群から龍峰寺へ向かう途中、大和厚木バイパスを渡る陸橋から大山の写真撮った。

mark龍峰寺(りゅうほうじ)
仁王門
仁王門
仁王像(阿形)
仁王像(阿形)

 仁王門は元禄12年(1699)に清水寺の門として建立され、その後、寛延4年(1751)に再建されたものです。

境内
境内
梵鐘
梵鐘

観音堂(旧清水寺)
観音堂(旧清水寺)

 「観音堂の建物は、初代将軍源頼朝が建久5年(1194)に国分寺を修復したおり、国分尼寺に隣接して荒廃していた勅願寺の湧河寺も再建した。そのとき堂前の涸れ池から清水がわきだしたので、清水寺と改名したという。その後、元禄12年(1699)に現在地に移転し、元文2年(1737)に再建されたのが観音堂である。」()

扁額「奥徳山」
扁額「奥徳山」
収蔵庫
収蔵庫

 観音堂の本尊十一面千手観音立像(国重要文化財)は、約170cmのカヤ材の一木造で、目は玉眼がはいり、鎌倉時代の作です。今なお「水堂の観音様」として信仰され、収蔵庫に安置されている。

「せ」「千手観音 仁王が守る 清水寺」
「せ」「千手観音 仁王が守る 清水寺
円通塔
円通塔

 海老名の歴史や文化財を巡る際のガイドマップ『海老名郷土かるた』は、昭和52年(1977)に海老名史跡探勝会、小島ハル子画伯、市内在住絵画グループの方々のご協力で作成された。

 円通と大きく刻まれた円通塔が、かっての参道に道しるべとして建てられている。

本堂
本堂
本堂
本堂

 龍峰寺は、鎌倉の建長寺の末寺として室町時代初期に創設されたお寺です。

mark弥生神社(やよいじんじゃ)
「や」「弥生神社は 四つのむらの 鎮守様」
「や」「弥生神社は 四つのむらの 鎮守様
「村社彌生神社」碑
「村社彌生神社」碑

 明治42年(1909)3月に国分に鎮座の八幡社、上今泉の比良神社、柏ケ谷の第六天社、望地の大綱神社を合祀して創建された。

鳥居
鳥居
参道階段
参道階段

 階段下から拝殿を眺める景観が美しい。

狛犬(吽形)
狛犬(吽形)
狛犬(阿形)
狛犬(阿形)

階段下の石灯篭
階段下の石灯篭
大イチョウ
大イチョウ

 拝殿前に立派な大イチョウが立っている。

拝殿
拝殿

 御祭神は、誉田別命・猿田彦命・高産霊命・日本武男命です。

扁額「彌生神社」
扁額「彌生神社」
本殿
本殿

mark相模国分尼寺跡(さがみこくぶんじあまでら)
相模国分尼寺跡
相模国分尼寺跡(金堂跡)(国史跡)

 この寺院跡は、国分寺跡の北方600mな位置しています。この金堂跡のほか、講堂と鐘楼跡の基壇の一部が確認されました。その結果、中門・金堂・講堂が南北に並び、講堂の両脇に経蔵と鐘楼がつく伽藍配置です。

庚申堂
庚申堂
石仏群
石仏群

 現在、金堂跡の場所に庚申堂が建てられている。

「金堂跡」石碑
「金堂跡」石碑
「講堂跡」石碑
「講堂跡」石碑

 金堂跡北側、道を挟んで「講堂跡」石碑が建てられている。

mark相模国分寺跡(さがみこくぶんじ)
相模国分寺跡国史跡
相模国分寺跡国史跡
相模国分寺の模型(海老名市温故館の展示)
相模国分寺の模型(海老名市温故館の展示)

 東西160m、南北240mの回廊中央部に講堂が、南側中央部に中門がおかれ、回廊内部の東側に金堂、西側に七重塔を配した、法隆寺式の伽藍配置をもつことがわかった。また伽藍の北側で細長い僧坊の建物跡が確認された。

塔跡
塔跡(国史跡)

 「聖武天皇が、天平13年(741)の「国分寺建立の詔」をうけて建てられた七重塔の跡で、国分寺の塔には国家の平安を祈る金光明最勝王経が安置されていた。昭和41年(1966)と平成4年(1992)に行った発掘調査で基壇は、塔の初重の広さは10.8m四方で、塔の高さは約65mあったと推定されている。」()

金堂跡
金堂跡
礎石
礎石

 金堂の36個の礎石のうち、16個が現存している。基壇外装は、スロープ状に盛土した法面に川原石を貼り付けた葺石状の外装です。

回廊跡
回廊跡
僧房跡
僧房跡

 回廊は一般的に東西南北に廻らされるが、相模国分寺では東面が築地塀であったことが確認されている。
 僧房跡は、国分寺の僧が集団生活をしていた施設である僧房があった。発掘調査により、東西81m以上の長大な建物で、東西9m、南北6.57mを1居住単位とし、9区画以上に仕切られていた。

mark海老名市温故館(えびなしおんこかん)
海老名市温故館
海老名市温故館

 温故館は、相模国分寺跡が国指定史跡となった大正10年(1921)に国分寺跡保存整備事業の一環として、考古資料等を保管・展示する「遺物陳列館」として開館した。その後、国分寺跡の西側に移築し、平成23年(2011)に再オープンした。

旧石器時代石器(ナイフ形石器)
旧石器時代石器(ナイフ形石器)
旧石器時代石器
旧石器時代石器

縄文時代中期土器
縄文時代中期土器
縄文時代後期土器
縄文時代後期土器

弥生時代終末土器(土師器壺)
弥生時代終末土器(土師器壺)(秋葉山古墳群)
弥生時代後期土器
弥生時代後期土器

副葬品の石製品(本郷遺跡)
副葬品の石製品(本郷遺跡)
古墳時代横穴墓群の勾玉・小玉など
古墳時代横穴墓群の勾玉・小玉など

古墳時代前期土器(秋葉山古墳群)
古墳時代前期土器(秋葉山古墳群)
古墳時代後期土器(須恵器平瓶)
古墳時代後期土器(須恵器平瓶)

金銅製水煙(複製)
金銅製水煙(複製)
鬼瓦「右眼」
鬼瓦「右眼」

平安時代土器(土師器壺)
平安時代土器(土師器壺)
館内の展示様子
館内の展示様子

関連ページ(遺跡)


mark相模国分寺(さがみこくぶんじ)
海老名の大ケヤキ
海老名の大ケヤキ(県指定天然記念物)
参道入口
参道入口

 参道入口には、樹齢560年の海老名の大ケヤキがある。

本堂(薬師寺)
本堂(薬師寺)

 相模国分寺は戦国時代に国分寺跡にあった伽藍が焼失したため、高台にあった国分寺の別院の薬師堂を現在地に移して、国分寺の法灯を受け継いだのが現国分寺である。
 鐘楼には正応5年(1292)この地に居館を構えてい海老名の一族、国分秀頼が尼寺に寄進した梵鐘がある。鋳物師は鎌倉の円覚寺や金沢の称名寺の鐘も制作した名工物部国光である。

石造如意輪観音菩薩像
石造如意輪観音菩薩像
七重の塔モニュメント(海老名中央公園)
七重の塔モニュメント(海老名中央公園)

 境内には、「尼の泣き水」伝説を伝える如意輪観音菩薩像がある。
 海老名中央公園にある七重の塔モニュメントは、復元図を基に実物大の約3分の1のスケールで建てられたものです。

mark河畔公園(かはんこうえん)
河畔公園のソメイヨシノ
河畔公園のソメイヨシノ(花の名所)
河畔公園のソメイヨシノ
河畔公園のソメイヨシノ(4月)

 河畔公園は、「相模川八景」にもなっている所。相模川、中津川、小鮎川が合流するこの地域は、その昔屋形船などの舟遊びが盛んに行われたとのこと。

関連ページ(ソメイヨシノの名所)


 河畔公園から上流に向って河畔を約10分歩くと、相模国の最古の神社である有鹿神社に着いた。

有鹿神社
有鹿神社
梵鐘
梵鐘

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