脇町うだつの町並み

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mark脇町うだつの町並み(わきまちうだつのまちなみ)
脇町うだつの町並み
脇町うだつの町並み

 「脇町は、吉野川左岸を鳴門にいたる撫養街道と、高松へ通じる讃岐街道が交差する要衝の地にあり、鎌倉時代以降に城下町として形成された。天正13年(1585)、蜂須賀氏が阿波国に封ぜられると、脇町には重臣・稲田氏が配せられ、城と城下町の復興が積極的に行われた。江戸時代には舟運を利用して、吉野川中流域における阿波特産の藍の集散地として発展。明治以降は繭の仲買および生糸の生産の中心地として栄え、藍商、呉服商、その他各種の商家が軒を連ねる町となった。」()

商家
商家
白壁の家
白壁の家

連なる家並み
連なる家並み

うだつ
うだつ
うだつ
うだつ

 うだつ「卯建」は、二階の壁面から突き出した漆喰い塗りの袖壁で、火よけ防火の役目をしている。江戸地代、裕福な商家はこの「うだつ」をあげた立派な家を競って造った。ことわざ辞典にいつまでもぐずぐずして一向に出世できないことを「うだつがあがらぬ」と記しており、この語源になったのではないかと思われる。

小野五平翁の生家(平田家)
小野五平翁の生家(平田家)
国見家
国見家

 小野五平翁は天保2年(1831)木屋五平(宿屋)で生まれる。泊まり客のさす将棋を見たのが病みつきとなり、持って生まれた素質と熱心さのため7~8歳の頃、すでに五平を負かす者はなかった。19歳のとき江戸に出て名人(天野宗歩)に弟子入りし、明治23年(1890)四国では唯一人第12世将棋名人となった。大正11年91歳で没し、大工町安楽寺に葬られている。
 国見家は、宝永4年(1707)に建てられた。この通りでは一番古い建物である。敷地は表通りから当時の吉野川に達する広いもので、川岸に門があり石段を通じて吉野川の船着き場に出ることができた。屋根架構は、登り梁折置く組み中引梁で合掌に組み、その上に直接棟木を置いている。指物を用いず、丸太梁に鴨居と敷居を入れ丸太に近い柱が古風である。

森家
森家
藍屋
藍屋

 森家は天文年間(16世紀後半)より脇町に居住し、弘化年間(18世紀半ば)から醸造業を営んでいた。当森家は明治13年に建てられたものである。明治の郵便制度発足後、7代目当主が郵便局長を拝命、郵便局として使用されていた当時の窓口がそのまま形で残っている。

吉野川
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