桂浜(坂本龍馬記念館)

祖谷渓(かずら橋)~桂浜(坂本龍馬記念館)~龍河洞
mark桂浜(かつらはま)
桂浜
桂浜

 浦戸湾の人口、太平洋にのぞむ桂浜。古くは嘉列浜あるいは、嘉津浦浜・勝浦浜・勝浦ノ浜などと記された。いつのころからか「かつうら」が「かつら」に転じ、「桂」の字があてられた。五代藩主山内豊房の命名ともいわれる。藩政期には勝浦浜村があったが、のち浦戸村に吸収された。
 太平洋に面したこの浜は、月の名所として名高く、歌人吉井勇にうたわれ、詩人大町桂月の雅号にもなり、「みよやみよ みな月のみの 桂浜 海のおもより いづる月かげ」と詠まれている。毎年中秋の名月には、この浜で名月酒供養がもよおされ、桂月をしのぶ。

坂本龍馬像
坂本龍馬像
桃葉先生記念之碑
桃葉先生記念之碑

 龍馬が幕末史上ではたした役割には大きなものがあるが、その活躍した期間は、勝海舟に弟子入りしてから京都で暗殺されるまの5年間と、意外なほど短い。その間に彼は海軍操練所創設に奔走、薩長同盟の伸介、海援隊の組織、「船中八策」の立案、大政奉還実現への根まわしなど、八面六腎の活躍をした。

大町桂月記念碑
大町桂月記念碑
国民宿舎桂浜荘
国民宿舎桂浜荘

 大町桂月(1869~1925)は高知市出身の文人。名は芳衛。雅号桂月は月の名所桂浜に因み、桂浜月下漁朗を縮めたもの。明治29年東大国文科卒。在学中から能文をもって知られ、その文業は美文・韻文・随筆・紀行・評論・史伝・人生訓など多彩、著書200冊。漢文を骨格に和文の衣裳で練り上げたその文章は平和自由、一世を風靡した。

高浜虚子句碑
高浜虚子句碑
浦戸城の碑
浦戸城の碑

 高浜虚子句碑
  海底に 珊瑚花咲く 鯊を釣る
 記念館の正面に「浦戸城址」の碑がある。景勝地桂浜の背後の山全体が、長宗我部氏最後の居城浦戸城跡である。現在、本丸跡と灯台の間の斜面に石垣の一部が残る。

坂本龍馬記念館
坂本龍馬記念館
坂本龍馬像
坂本龍馬像

 昭和60年(1985)、龍馬生誕150年記念事業実行委員会が中心となり、坂本龍馬記念館建設運動がはじまった。募金活動、公開設計競技を経て、平成3年(1991)、太平洋を一望する桂浜の丘陵上に記念発は完成した。龍馬がその生涯をとおして、どのように成長し活躍したかを、映像やグラフィックを駆使した7つのステージで措く展示形式をとっている。

120インチスクリーン
120インチスクリーン
図書コーナー
図書コーナー

 120インチスクリーンでは、大画面で所蔵品や龍馬の生涯、また、龍馬の手紙朗読コンサートの様子なども紹介している。

土佐藩船「夕顔」
土佐藩船「夕顔」
坂本龍馬の遺言状
坂本龍馬の遺言状

 龍馬は、土佐藩船「夕顔」の中で、日本がこれから進むべき道を八策にまとめて、後藤象二郎に示した。

坂本龍馬 肖像画
坂本龍馬 肖像画
龍馬の写真
龍馬の写真

近江屋復元
近江屋復元
血痕のついた貼交屏風(複製)
血痕のついた貼交屏風(複製)

 慶応3年(1867)11月15日、大政奉還の1カ月後、京都近江屋で陸護隊隊長中岡慎太郎と密談中を数人の刺客に襲撃され落命。享年33歳。奇しくもその日は龍馬の誕生日であった。
 この屏風は、龍馬・慎太郎が暗殺された部屋に、血染めの掛軸と並んであった。中折れ二面の屏風には、狩野探幽の富士山の絵、赤穂義士十次郎の書簡など19点が張られている。
 左面下の猫と牡丹の絵には、53点の血痕が飛び散っており、乱闘のすさまじさを物語っている。

屋上からの眺め
屋上からの眺め

初日の出
2016.1.1 初日の出(高知桂浜)
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