上野公園(上野東照宮・ぼたん園)散歩
(湯島~上野)

湯島駅(地下鉄千代田線)~上野公園~上野東照宮~上野駅(JR山手線)
mark上野公園(うえのこうえん)
上野公園
上野公園

 今、東京の真ん中で広大な緑を貯蔵し、市民に最も親しまれた行楽地とは 上野公園である。西欧の公園を見ると、日本の都市公園はなんと貧弱かと思うのだが、そうした中で、面目を保てるのは上野公園があるからである。そして幕府崩壊後、何かになるはずの寛永寺山内を、上野公園としてよみがえらせたオランダ人医師ボードワンのことは、忘れてはならないだろう。明治政府が外国人の意見を尊重し、国家形成に役立てようとした、時の運も幸いしたのである。

上野恩賜公園の桜(満開)
上野恩賜公園の桜(満開)
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西郷隆盛銅像>
西郷隆盛銅像
小松宮彰仁親王銅像
小松宮彰仁親王銅像

 西郷隆盛は、盟友・大久保利通とともに明治維新を成功に導いた立役者で、江戸城無血開城させたことはあまりに有名。明治新政府でも陸軍大将として重責を担っていたが、明治6年(1873)、朝鮮侵略を巡る征韓論争で派兵と遺使交渉を主張し、反対する大久保たちと決裂して辞表を提出。下野(民間に下ること)して鹿児島に戻り、私学校で士族子弟の教育にあたった。最大規模の土族反乱にして日本最後の内戦「西南戦争」を起こす。南九州を転戦したあと、故郷の城山で自刃した。
  小松宮彰仁親王は伏見宮邦家親王第8王子。安政5年(1858)京都仁和寺に入って純仁法親王と称し、慶応3年(1867)勅命により22歳で還俗、東伏見宮嘉彰と改称した。同4年1月の鳥羽・伏見の戦いに、征東大将軍として参戦。ついで会津征討越後口総督になり、戊辰戦争に従軍した。

野口英世銅像
野口英世銅像
博士王仁碑
博士王仁碑

 野口英世は、明治9年(1976)11月9日、福島県猪苗代湖畔の農家に生まれた。31年、北里柴三郎主宰の伝染病研究助手となり、33年12月に渡米、37年よりロックフェラー医学研究所で梅毒スピロヘータの研究を重ね、国際的にも高い評価を受けた。大正7年(1918)からは中・南米やアフリカに赴き、黄熱病の研究に努めたが、やがて自らも感染してしまい、昭和3年(1928)5月21日、現在のアフリカ・ガーナのアクラで没した。享年53歳。野口英世銅像は総高約4.5m(台石を含む)、製作者は多摩美術大学教授吉田三郎。英世の写真に基づき、試験管をかざした実験中の姿を表現したもので、台石にはラテン語で「PRO BONO HUMANIGENERIS(人類の幸福のために)」と刻まれている。
 「古事記」などによると、王仁博士は古墳時代前半に百済国から渡来し、「論語」・「千字文」を伝えた学者であり、後に帰化したとされる。また、その子孫は文筆をもって朝廷に伝えたといわれる。

PARK SIDE CAFE
PARK SIDE CAFE
上野動物園入口
上野動物園入口

大噴水
大噴水

 大噴水のある所が寛永寺根本中堂跡、国立博物館のある所が本坊跡で、かっての寛永寺の伽藍の中心であった。

旧因州池田屋敷表門
旧因州池田屋敷表門
(国重要文化財)

 旧因州池田屋敷表門は、もと因州池田家江戸屋敷の表門で丸の内大名小路(現、丸の内3丁目)に建てられていたが、明治25年、芝高輪台町の常宮御殿の表門として移建された。のちに東宮御所として使用され、さらに高松宮家に引き継がれる。

黒田家の江戸屋敷鬼瓦
黒田家の江戸屋敷鬼瓦
説明版
説明版

 筑前福岡藩主黒田家の屋敷(現在の千代田区霞が関、外務省の地)の建物の棟飾りとして用いられていたものである。鬼瓦といっても鬼面にはなっていない。複雑な雲文の鰭までを一体に造った大振りなものとなっており、屋根を重厚にする江戸趣味をよくあらわしている。

mark上野東照宮(うえのとうしょうぐう)
石造明神鳥居
石造明神鳥居
(国重要文化財)
石燈籠
石燈籠

 石造明神鳥居は、寛永10年(1633)上州(群馬県)前橋藩主酒井忠世の寄進、石材には備前の御影石が使用されている。

参道
参道

2014.1.5 上野東照宮(保存修復工事完成)
2014.1.5 上野東照宮(保存修復工事完成)
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 東照宮は徳川家康を祀る神社で、幕府直営の宮として、江戸城紅葉山・久能山・日光・ 上野の4宮があった。いずれも本殿と拝殿を別棟の石の間で連結する権現造の社殿建築であった。慶応2年(1866)に勅使門・回廊が焼けたが、 唐門・透塀・ 拝殿(国重要文化財)・ 本殿は三代将軍徳川家光の造営した当時のものである。

銅灯籠(唐門両側6基)
銅灯籠(唐門両側6基)
(国重要文化財)
透塀
透塀
(国重要文化財)

 銅燈籠は、東照宮社殿唐門前と参道に、五十基の銅燈籠が並んでいる。燈籠は神事・法会を執行するときの浄火を目的とするもの。照明用具ではない。浄火は神事・仏事に使う清めた火。燈籠は上部から、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基壇で構成されている。火袋は、八角・六角・四角などの形式に分かれ、各面には火口・円窓という窓を設けている。火袋下部の長い部分を竿といい、ここに銘文を刻むことが多い。唐門両側6基の銅灯籠は、水戸・紀州・尾張の徳川御三家がそれぞれ2基ずつ寄進したものである。
 透塀は格子の向こうが見えることからこの名がある。上下にある彫刻は、上欄には野山の動物・植物、下欄には川や海の野山の動物・植物が生き生きと表現されている。

唐門
唐門
(国重要文化財)
本殿
本殿
(国重要文化財)

 唐門は慶安4年(1651)建築された。総金箔の門で、両側上部にある松竹梅と錦鶏鳥の透彫は、精巧で美しく、室町・桃山の技術を集大成したもとのして評価されている。

昇り龍(外側)
昇り龍(外側)
降り龍(外側)
降り龍(外側)

 柱の内外4額面には、日光東照宮の 眠り猫で有名な、左甚五郎作の昇り龍・降り龍があり、夜ごとに不忍池の水を飲みに行くという伝説がある。頭を垂れているほうが昇り龍と呼ばれているのは、偉大な人ほど頭を垂れるという諺に由来しているといわれいる。

松竹梅と錦鶏鳥(北側)
松竹梅と錦鶏鳥(北側)
松竹梅と錦鶏鳥(南側)
松竹梅と錦鶏鳥(南側)

お化け燈籠
お化け燈籠
銅燈籠
銅燈籠

 お化け燈籠は寛永8年(1631)当時、 上野東照宮は創建して間もなく、社頭には、現在の 大鳥居・ 銅燈籠・ 石燈籠などは、まだわずかしか奉納されていなかった。佐久間大膳亮勝之は他にさきがけ、この燈籠を寄進したのである。勝之は、織田信長の武将佐久間盛次の四男。母は猛将柴田勝家の姉という。織田信長・北条氏政豊臣秀吉、のち徳川家康に仕え、信濃国川中島ほかで一万八千石を領した。燈籠の大きさは、高さ6.06m、笠石の周囲3.63mと巨大で、その大きさゆえに「 お化け燈籠」と呼ぶ。同じ勝之の寄進した京都南禅寺・名古屋熱田神宮の大燈籠とともに、日本三大燈籠に数えられる。

拝殿
拝殿
(国重要文化財)

2014.1.5 上野東照宮 透塀の彫刻(野山の動物・植物)
2014.1.5 上野東照宮 透塀の彫刻(野山の動物・植物)
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ぼたん苑
ぼたん苑
連鶴
連鶴

春牡丹
春牡丹
島錦
島錦

 春のぼたん
 初夏の訪れを告げるぼたん、しゃくやくが咲き誇る。苑内では、日本のぼたん約200品種・3000本と、中国のぼたん約50品種・200本を楽しむことができる。
 冬のぼたん
 古来よりその美しさと希少さから、新春の貴重な花として観賞されてきた冬のぼたん。雪よけのワラ囲いの中で寒さに耐えながら咲く可憐な花々は私達の心を和まてせくれる。約40種、600本のぼたんが公開されている。

八千代
八千代

⇒ 上野公園周辺 ウォーキングマップ