散歩コース
久保バス停(神奈中バス)~光明院~弘法山公園~弘法山~吾妻山~鶴巻温泉駅(小田急小田原線) 昨年2月大山に登り蓑毛から久保まで歩いていたので、今回は久保バス停で降りて歩き始める。暖かい陽気なので長シャツの袖を捲り、のんびりと緩やかな下り道を名古木方面に向う。
この道は「弘法大師(こうぼうだいし)と丹沢へのみち」と呼ばれ、途中、波多野城址(藤原一門である波多野氏の居城跡といわれる)と光明院がある。
弘法山公園入口にある加茂神社からの坂道を登ると、麓に羊を放牧している「めんようの里」があり身近に羊を見ることができる。予約をすれば、養毛を紡ぐ”ウールワーク”を体験することもできる。
弘法山展望所(車道)から、男坂(約400m)又は女坂(約600m)の山道を登ると弘法山公園の権現山展望台に出ます。
【富士見百景 1月】
冬の季節、権現山展望台から秦野市街地と美しい富士山を望むことができる。
【今日は感謝!感謝!の一日でした】
神奈川県秦野市にある弘法山(高235m)へ、山頂からは済み切った青空に綺麗な富士山の写真が撮れました。ただその後、有難く感謝する出来事が2度もありました。
①展望台(駐車場)からの下り道で、まだ左膝の方が本調子でなかったのでタクシーを呼んだが、『今、空車ありません』と言われ困っていた所に、一緒に写真を撮っていた地元の方に下のバス停まで乗せて頂いた。大変助かり有難うございました。
②さらに、その後(2時間後)にリック中にカメラが入っていないことが発覚。何処でカメラを置き忘れたかなと思い出しながら、駄目元でタクシーに乗って展望台(駐車場)に戻って見たら、なんと自分のカメラを見守ってくれた人がいました。本当に感謝の一言でした。バイクツーリングされている方で、置き忘れのカメラが気になっていて秦野警察署にも電話をされていたとの事も聞きました。(このページを通じて、お二人の方にお礼を申し上げます。大変有難うございました。)
そんな「感謝!」で嬉しかったのですが、商売道具(笑)のカメラを置き忘れる自分に悲しい思いをした一日でした。
【サクラ 4月】
弘法山公園では「桜まつり」が行われており、大勢の花見客が訪れ満開の桜を眺め、桜並木の下では酒盛りで賑わっていた。
権現山展望台からは桜満開の弘法山公園、富士山、大山の山々を望むことが出来る。
秦野出身の歌人、前田夕暮の歌碑が建っている。
生くること
かなしと思う山峡は
はだら雪ふり
月照りにけり
「弘法山はその名の通り、弘法大師修行の伝説がある。頂上には鐘楼や大師堂があり、大師ゆかりの地を示している。また、大がめの中に、石に書いた観音経を納めて地中に埋め、その上に堂を建てたという経石塚がある。昭和12年(1937)に、この経石塚が発掘・調査され、経石、経筒、灯明皿などが出土したことから、このあたりが鎌倉時代には信仰の場となっていたことも判明した。」(※)
釈迦堂では弘法大師の開帳で、弘法大師像を拝むことができ、そしてお酒と甘酒の無料提供もしていた。甘酒を頂き、吾妻山へ続く「弘法山ハイキングコース」の道へ進む。
この井戸は、「昔から「弘法の乳の水」と呼ばれている。いつも乳の香りがしていたそうである。」と記されている。
弘法山から吾妻山への道は弘法山ハイキングコースで、多少の登りと下りがあるが歩きやすい道であった。年配者の夫婦やグループの方々が、元気よくハイキングを楽しんでいた。
「【吾妻山の伝説】日本武尊は、東国征伐に三浦半島の走水から、船で房総に向う途中静かだった海が急に荒れ出し難渋していました。そこで妻の弟橘比売は、「私が行って海神の御心をお慰めいたしましょう」と言われ海に身を投げられました。ふしぎに海は静まり無事房総に渡ることが出来ました。征伐後、帰る途中相模湾・三浦半島が望めるところに立ち今はなき弟橘比売を偲ばれ「あずま・はや」と詠まれた場所がこの吾妻山だと伝えられています。」(※)
吾妻山の休憩所で相模湾方面の展望写真をとり、鶴巻温泉駅への道を下った。
散歩コース
久保バス停(神奈中バス)~光明院~弘法山公園~弘法山~吾妻山~鶴巻温泉駅(小田急小田原線)