『よこすかYYのりものフェスタ』の海上自衛隊護衛艦「いずも」一般公開。中でも、巨大エレベーターの上昇・下降の様子は圧巻です。
護衛艦体験航海、補給艦ときわ・砕氷艦しらせの一般公開、潜水艦やえしおの特別航海など、普段みられない横須賀基地内を見ることが出来るチャンス。他に、交通艇港内クルーズや水中処分員による降下訓練などのイベントもあり、大勢の人出で賑わう。
アルゼンチンの国樹でありシドニーの市花にもなっているジャカランダはカエンボク・ホウオウボクとともに世界三大花木の一つです。
毎年6月中旬から下旬にかけて、構内の3号館・4号館前と図書館前のジャカランダの花が咲き誇る名所になっている。
梅雨の中休みの天気に恵まれ、横須賀から三浦海岸、観音崎まで、海からの潮風を受けながらマイペースで歩いた。スタートの駅であるJR衣笠駅から横須賀の中心街までは約40分かかったが、ここから横須賀新港に面した三笠公園までは近かった。
まず公園入口では東郷平八郎像、その後に青空をバックにした記念艦「三笠」の美しい光景が眼に入ってきた。明治時代の日露戦争で日本連合艦隊の旗艦として活躍し、大正10年(1921)に廃艦。現在は昭和36年(1961)に復元したものが見られる。艦内を見学することもでき、日露戦争で「本日天気晴朗なれども波高し」の有名な発信文が送られた電信室、東郷平八郎の司令長官室等などがリアルに残されている。
訪れた時には、東郷平八郎像の前で東郷家親族の方々全員で記念写真を撮っていた。(ちょっと話しを聞いてみると、1年に1回は親戚一同が集っておられる事でした)
「東郷平八郎は、薩摩藩士の子に生まれる。幕末は薩英戦争、戊辰戦争に参加し、明治時代には海軍士官となった。25歳から7年間、イギリスのポーツマスに留学し、国際法を学んだ。東郷は、日清戦争では浪速艦長として活躍、明治37年(1904)から始まった日露戦争では海軍大臣山本権兵衛によって連合艦隊司令長官に任命された。」(※)
園内には、壁泉、野外ステージがありますが、特に人気なのが音楽に合わせて水が踊る音楽噴水。音楽噴水池周辺には沢山の人達が集り、気持ちがいい水しぶきを受けながら、約15分間の噴水ショーを楽しんでいた。(毎日1日6回)
横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念。三笠公園会場では野外ステージのダンスや演奏、自動車ゾーンのショベルカー・消防車・救急車などの試乗、ヴェルニー公園ではJRゾーンのミニ電車運転、海上自衛隊横須賀地方総監部では海上自衛隊護衛艦「いずも」の一般公開など。親子一緒に楽しめるイベント満載であった。
『よこすかYYのりものフェスタ2015』の野外ステージで演奏。
三笠公園から「よこすか海岸通り」を三浦海岸線沿いに歩くと、気軽にスポーツが楽しめる「うみかぜ公園」と、のんびりと海釣りでき、アスレチック道具、芝生広場がある海辺つり公園がある。
公園の海岸は、海釣りを楽しむ親子で一杯。ただ、あまり魚が釣れている様子を伺うことは出来なかった。
「日本武尊とその妃弟橘媛をまつる。『古事記』『日本書記』によると、景行天皇の子日本武尊が、東夷征討のため相模から上総へ渡るとき、海が荒れて船が進まなかったので、これは海神の怒りのためと考えた弟橘媛は、みずから荒海へ身を投じ神の怒りをしずめ、そのおかけで尊は無事に渡海できたと記している。社伝では、尊の冠を村人がもらい、これを石櫃におさめて御神体として建立したのが走水神社だという。」(※)
神社裏山の高いところには、弟橘媛の歌碑が明治43年(1910)に建立された。境内右側には航海の安全を祈る舵の碑が、左側には包丁塚と彫った碑がある。
包丁塚は、走水の住人が日本武尊に料理を献上し、ほめられて大伴黒主という名をあたえられた故事により、包丁への感謝と鳥獣魚介類の慰霊のために昭和48年(1973)に建立されたものです。
観音崎京急ホテル前から走水園地へ入ると、池のほとりや散歩道にはアジサイの花が咲いていた。
園内には三軒家砲台跡(明治27年12月15日着工、明治29年12月20日完成の27加砲4門で、12加砲2門で原形に近い形で残されています。地下庫、見張所、井戸、便所等もありましたが、昭和9年8月20日廃止された)など、今でも要塞としての当時の様子を多く残している。