「嘉禎3年(1237)、常楽寺は臨済宗建長寺派、山号は粟船山、開山は蘭溪道隆。三代執権北条泰時が夫人の母の追福のためにに建立した粟船御堂が常楽寺の前身で、その間堂供養を退耕行勇がつとめたという。仁治3年(1242)、泰時が没したとき、この粟船御堂に葬られ、泰時の法名をとって常楽寺としたといわれている。」(※)
昭和45年(1970)、本堂は再建され、釈迦如来坐像(南北朝期)が祀られている。
鎌倉地方の代表的な近世禅宗様仏殿であるが、平成3年(1991)に解体修理が行われた。禅宗寺院では珍しい本尊阿弥陀三尊像・蘭溪道隆(大覚禅師)坐像(室町期)が祀られてる。
鎌倉三名鐘の一つである梵鐘は、宝治2年(1248)の銘で鎌倉最古である。現在、鎌倉国宝館に寄託されている。
天井には狩野雪信筆という「雲龍」が描かれている。
文殊堂は、明治初年に扇ガ谷の英勝寺から移されたもので、文殊菩薩坐像や毘沙門天立像などが安置されているが、1月25日の文殊祭以外は開扉されていない。
北条泰時は、二代執権北条義時の子である。嘉禄元年(1225)に北条政子が亡くなると、連署・評定衆十一人を設け、貞永元年(1232)に日本で最初の武家法「御成敗式目」を制定した。経済では、貞永元年(1232)に材木座に築かれた和賀江嶋の築港支援をした。
仏殿右奥には禅宗風庭園と色天無熱池といわれる池がある。池のなかには小さな弁天社があり、大覚禅師が江の島に参籠したとき弁財天からさずけられたと伝える乙護童子がおさめられている。
仏殿手前の大銀杏は、北条泰時が自ら手植えをしたといわれている。