安達盛長は鎌倉前期の有力御家人で、初代将軍源頼朝の伊豆配流時代からの側近で幕府ができると重臣となり、源頼家の時には13名の合議制の1人となった。
八代執権北条時宗は、建長3年(1251)5月15日に安達邸で誕生した。
万葉集の歌
「鎌倉の見越の崎の岩崩の君が悔ゆべき心は持たじ」
和銅3年(710)、僧行基が草創し、この地方の豪族染屋時忠が山上に神明宮を建てたとの言い伝えがあり、鎌倉最古の神社といわれている。
源頼義が当社に祈願して源義家を授かったことから、源氏との縁が深い神社として信仰されていた。鎌倉時代には頼朝や北条政子・三代将軍実朝らがたびたび参拝しており、御家人の安達盛長が守護にあたるなど幕府から篤い信仰をうけていた。