九州一周旅行
(オランダ坂・グラバー園・雲仙地獄)

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markオランダ坂(オランダざか)

 宿泊のホテル(モントレ長崎)近くの名所散歩に出かける。いずれもの場所も来たことがあるが、今回はゆっくりと写真を写しながらオランダ坂から孔子廟、グラバー住宅と歩いた。

オランダ坂
オランダ坂
オランダ坂から港方面の眺め
オランダ坂から港方面の眺め

 オランダ坂というのは、外国人居留地、とくに東山手一帯の石畳の坂道をいう。当時長崎では西洋人をみな「オランダさん」とよんでいたことからこの名がついた。オランダ坂を活水女子大学の正門まて歩いていくと、呂の前に洋館がみえる。

オランダ坂
オランダ坂
東山手地区町並み(保存地区)
東山手地区町並み(保存地区)

 東山手十二番館てある。明治元年(1868)にプロイセン領事館としてたてられたが、アメリカ領事館にも利用されたらしい。板数の広いベランダが珍しい。現在、長崎市旧居留地私学歴史資料館として公開されている。

オランダ坂
オランダ坂

 大浦町から東山手・南山手町にかけての一帯が、幕末から明治にかけての外国人居留地である。安政6年(1859)、横浜・箱館とともに長崎の港も開かれた。

mark孔子廟(こうしびょう)
儀門
儀門
等人台の孔子七十二賢人石像
等人台の孔子七十二賢人石像

 廟内に立つ孔子七十二賢人石像など石製のものはすべて中国から取り寄せた。

中国歴史博物館入口
中国歴史博物館入口
中国歴史博物館
中国歴史博物館

 孔子廟に併設された中国歴代博物館は、中国の中国歴史博物館・北京故官博物院から第一級資料を借りうけて展示しており、みごたえがある。

大成殿
大成殿

 「孔子廟・中国歴史博物館は西洋風のたたずまいのなかに、突如あらわれる中国華南地方の建物が対照的である。明治26年(1893)長崎華僑の募金と清国政府の援助でたてられた孔子廟は、昭和42年(1967)に資材を香港・台湾から運んで、台湾人職人によって大修理された。さらに昭和58年(1983)には中国から資材、石像などを購入して改装し、竜宮城もかくやといわんばかりの華麗な姿となった。」()

markグラバー園(グラバーえん)
大浦天主堂
大浦天主堂(国宝)
グラバー園
グラバー園

 大浦天主堂は慶長元年(1596)に殉教した26聖人に献じられたもので、西坂殉教地のほうを向いてたてられ、正式には日本二十六聖殉教者天主堂といい、地元ではフランス寺とよばれていた。現存する日本最古の教会であり、洋風建築では唯一、しかももっとも新しく製作された国宝である。

トーマス・グラバーの銅像
トーマス・グラバーの銅像
長崎港
長崎港

 「イギリスの貿易商人トーマス・グラバーが上海から長崎にきたのは、長崎開港直後の安政6年(1859)21歳のときである。大浦にグラバー商会を設立し、貿易商をはじめたグラバーは、薩摩・長州などの西南雄藩に、小銃・天砲・艦船など大量の武器を売りこんで巨利を得た。坂本龍馬の亀山社中とも深いつながりがあった。グラバーはただの武器商人ではなく、尊王討幕運動にも理解があり、薩摩・長州の若い勤王の志士たちを支援し、面倒をみた。母国の立憲君主制にならった、天皇を中心とする新しい近代国家の誕生を期待していた。」()

旧三菱第2ドックハウスからの眺め
旧三菱第2ドックハウスからの眺め

 旧三菱第2ドックハウスの建物は、明治29年(1896)に作られた典型的な西洋建物で、上下のベランダを8本の柱が支えている。ベランダからは、今から430年以上前に開港した長崎の港、そして正面に素晴らしい夜景が楽しめる稲佐山が見える。

旧ウォーカー住宅
旧ウォーカー住宅
黒船(旧三菱第2ドックハウス)
黒船(旧三菱第2ドックハウス)

 ロバート・ネール・ウォーカーは、イングランド出身。明治31年(1898)に長崎でウォーカー商会を設立。日本の海運業に大きな業績を残し、長崎外国人居留地の実業界における中心的人物として活躍した。グラバー園は長崎観光の定番コースでもあり、いつ訪れても観光客や修学旅行の団体さんが多い名所の一つである。今日も修学旅行中の中学生を大勢見かけた。

旧グラバー住宅
旧グラバー住宅(国重要文化財)

 「グラバーが、わが国最古となる洋風建築であるグラバー住宅をたてたのは、来日4年目の文久3年(1863)である。この住宅を訪れた勤王派の志士たちは多い。長州の高杉晋作・伊藤博文・木戸孝允、土佐の坂本龍馬岩崎弥太郎、薩摩の五代友厚らといった、そうそうたる顔ぶれである。またグラバーは、伊藤博文・井上馨・五代友厚・寺島宗則・森有礼らのイギリス留学を後援した。グラバーはまた日本の近代化にも貢献している。」()

mark出島和商蘭商館跡(でじまおらんだしょうかんあと)

 整備復元は、平成10年(1998)から本格化した。計画は2010年完成をめざす短中期計画と、最終的に19世紀初めの扇形の出島を復元する長期計画の2本立てである。短中期計画は、出島の西北側に19世紀前半当時の建物25棟を復元するものである。現在までのところ、二番蔵・一番蔵・一番船船頭部屋・へトル部屋・料理部屋の5棟が復元されており、当時の内部の様子なごが観覧できる。

ミニ出島
ミニ出島
表門
表門

 オランダ貿易は、元禄時代(1688~1704)までが全盛期で、それ以降は制限されてしだいに衰退していった。しかし出島は別の面で重要である。日本は、ヨーロッパとの唯一の窓口である出島をとおして、ヨーロッパの近代的な学問・先端技術などを取り入れた。オランダ商館が掟出する『和蘭風説書』は、ヨーロッパをはじめとする世界情勢を知る、ほとんど唯一のものである。風説書はオランダ通詞によって日本語に翻訳され、長崎奉行から幕府に提出された。

一番船船頭部屋
一番船船頭部屋(国史跡)
出島シアター
出島シアター

 もともと出島は、市内に分散居住していたポルトガル人を収容するために、出島町人25人に命じてつくらせた人工の築島である。長い岬の先端に形成された、弧状の砂洲を利用して扇形につくったものらしい。寛永11年(1634)着工し、2年後の1636年完成した。その規模は東西210m・南北60m、面積1万3000m2で東京ドームのグラウンドとほぼ同じである。寛永14年(1637)におこった島原の乱を契機に、寛永16年(1639)にはポルトガル船の来航が禁止され、出島からもポルトガル人が追放された。貿易の利益をなくした出島町人や糸割符商人は、幕府に対して平戸和蘭商館の移転を強く希望した。幕府は寛永18年(1641)平戸和蘭商館を移転し、西欧との窓を出島ただ1カ所としたのである。

mark眼鏡橋(めがねばし)
眼鏡橋
眼鏡橋(国重要文化財)

 「日本初のアーチ形石橋として有名な眼鏡橋は、寛永11年(1634)、興福寺二代住持唐僧黙子如定がかけたものである。昭和57年(1982)、長崎をおそった長崎大水害では、東新橋から大井手橋までの6橋が流されてしまった。また眼鏡橋なども大破したが、昭和61年(1986)、川幅を少し広げ、昭和の石橋として新しく生まれかわった。眼鏡橋は修復され、流失した編笠橋・一覧橋・すすきはら橋などが復元され、石橋群の景観を取り戻した。」()

黙子如定ブロンズ像
黙子如定ブロンズ像
眼鏡橋
眼鏡橋

 もともと中島川は、川幅自体がせまいためアーチ形石橋をつくりやすいという利点があった。しかしそうしたことをおいても、おおよそ町境に1つの橋がかけられ、短い流域にかくも多くの石橋があるということは、当時の長崎がいかに繁栄していたかを示すものである。なぜならば架橋当時の石橋は、多くの場合、個人が私財を投じたり、僧侶が資金をつのったりしてつくり、公費ではなかったからである。

mark雲仙地獄(うんぜんじごく)

 車を駐車場に止めて、湯けむり橋から雲仙地獄に入る。最初にお糸地獄(不貞をした上に夫を殺したお糸という女性を処刑が由来)が目につく。雲仙地獄は30余の噴気孔群からなり、お糸・清七・血の池などの名称がつけられている。雲仙公園ビジターセンターでは、雲仙火山群の生成過程、植生、雲仙の歴史、風俗の展示解説を行っている。

お糸地獄
お糸地獄

 「江戸幕府三代将軍徳川家光からキリシタン禁圧の厳命をうけた藩主松倉重政は、雲仙地獄で迫害を開始した。寛永4年(1627)2月、内堀作右衛門パウロほか15人が殉教、5月に峰助太夫ヨアキムほか11人が殉教、翌年に中島ミカエルら2人が殉教した。宝永6年(1629)、長崎奉行は、松倉氏と組んで、長崎からつれてきた64人のキリシタンに熱湯をかけるなどの地獄責めを行った。弾圧は宝永9年(1632)まで続いた。」()

真知子岩
真知子岩
キリシタン殉職碑
キリシタン殉職碑

 さらに上に歩くと真知子岩(映画「君の名は」のロケ地記念撮影の岩)がある。そして帰り道ではキリシタン殉職碑を見つける。傍の説明によると「キリシタンが厳しい弾圧を受けていたころ、幕府は改宗を迫る手段として、温泉の熱湯をかけるというひどい仕打ちを行い、寛永4(1627)年から7年間にこの地で殉教していった者は33名」と書かれている。

mark熊本島原フェリー(くまもとしまばらフェリー)

 島原から熊本へは16時30分発のフェリーを予定していたが、到着時間が予想より早かったので超高速カーフェリー(オーシャンアロー、島原と熊本を30分)に乗船することが出来た。

かもめと雲仙の山々
かもめと雲仙の山々

 島原港を出航後、後部の船上には餌に寄り添うかもめの大群(知床観光船と同じ光景)が近づき、そして雲仙の山々と夕日を合わせた写真を何枚も撮り続けた。

島原港の見送り
島原港の見送り
オーシャンアロー船内にて
オーシャンアロー船内にて

 日が暮れるにつれて船上は段々と寒くなってきたので、船内に戻り熱いコーヒーを頂く。

夕日(熊本港)
夕日(熊本港)
夕日(熊本港)
夕日(熊本港)

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