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大分空港~高崎山自然動物園~別府地獄めぐり 下之橋御門は内枡形となっていた。枡形の入り口には門はなく、左側に1回折れたところに櫓門が構えてあった。
三の丸北西側にあった下之橋御門は、文化5年(1808)に建てられたものであっ たが、後の改修により長らく上部構造を欠いた一重の門となっていた。2000年に不審火により焼失したため、その復元の際にはもとあった自漆喰の二重櫓門に復元され、その雄大な姿を見せている。
「(伝)潮見櫓は 福岡城に50近くあった櫓の一つ。大正初期に浜の町の黒田別邸に移築され、昭和31年(1956)に再移築された。潮見櫓の本来の位置は、現在の三の丸北西角であり、また、この建物は平成3年の調査の結果、潮見櫓ではなく、城内の別の櫓であると考えられている。
名島門は黒田長政の家臣林掃部の邸宅の門として使用されていた二重の門である。言い伝えでは、前領主の小早川隆景・秀秋の居城である。」(※)
松ノ木坂御門跡は三の丸から二の丸へ入る西側の門。かつては坂を上り左へ直角に折れると、櫓に囲まれた重厚な門を構えていたが、現在は石垣を残すのみとなる。
「福岡城(別名舞鶴城)は、福岡藩初代藩主黒田長政が慶長6年(1601)に築城を開始し、6年後の1607年に完成した。関ケ原の戦いで筑前一国52万3000石を得た黒田氏の居城である。商都博多を城下町に取り込み、内郭部は8万坪という広大な城で、天然の入江を水堀として利用した堅固な城となっている。天守台は残されているが、天守が実際に築かれたか否かは意見が分かれる。現在、城内には南二の丸多聞櫓や祈念櫓、古時打櫓などが残っている。現在の城跡の大半は舞鶴公園となっている。」(※)
福岡城内で、当時の状況を最もよく残している建物といえば多聞櫓 である。南二の丸西側の塁線上に構築されていて、南端と北端には隅櫓があり、その間を30間(約54m)もの長い平櫓がつないでいる。南隅櫓と平櫓は現存で、北隅櫓は復元である。
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