観光コース
大分空港~高崎山自然動物園~別府地獄めぐり聖福寺は山号を安国山(通称安山)、寺号を聖福至仁禅寺。開山は明菴栄西(栄西禅師)で、建久6年(1195)に初代将軍源頼朝公より、この地を賜り、頼朝公を開基として創建された、日本で最初の禅寺である。
境内には、無染池、仏殿の大雄宮殿、本堂、鐘楼、堪忍地蔵、総門から勅使門につながる博多塀などが立ち並び、典型的な禅寺の伽藍様式を保つ。本堂は、修行の場であるため、一般の立ち入りは禁じられている。
「豊臣秀吉が九州を平定する頃、博多の町は毛利・大友・島津などの諸勢力による相次ぐ合戦で荒廃していた。「博多塀」とは、その焼け跡に残った石や瓦を埋め込んで作った土塀のこと。御供所通り側は上塗りにより見えないが、境内側は禅宗様式の形態をとどめ、周囲の歴史的建造物や樹木の豊かな緑と一体となって、歴史を感じさせる美しい景観を形成している。」(※)
山門に後鳥羽上皇の忌筆と伝えられる「扶桑最初禅窟」の額が掲げられている。扶桑とは日本を意味し、聖福寺が日本最初の禅寺だということを示している。
鐘楼は昭和51年(1976)まで朝鮮鐘(国重要文化財)がかけられていたが 現在は黄鐘調の梵鐘である。
聖福寺の歴代住職のなかで博多っ子から慕われているのが、江戸時代後期に活躍した仙厓義梵である。美濃(硯、岐阜県)出身の仙厓は、若い頃から画才に恵まれ、諸国行脚の後、聖福寺の住職となり、62歳で隠棲した後もユーモラスでわかりやすい書画を措き与えて、庶民を導いたという。今でも、「博多の仙厓さん」と親しみを込めてよばれている。
唐門は宝暦12年(1762)唐門が建設された。
開山堂は天正17年(1589)耳峯玄熊の中興の際建てられた。
幻住庵は延元元年(1336)の創建で、無隠元晦により開山された。以前、那珂郡馬出村(東区馬出)にあったが、天正年間に兵火にかかり焼失。天保3年(1646)、博多の豪商大賀宗九の息子宗伯が、現在地に再建した。
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