「建久3年(1192)、文治5年(1189)の奥州藤原氏を攻めたとき・藤原氏のたてた中尊寺二階大堂大長寿院や毛越寺、無量光院などを見た初代将軍源頼朝が、それを参考に、源義経や藤原氏ら奥州合戦で死んだ人びとの怨霊供養のため建立した。
頼朝が建立した三大寺院(鶴岡八幡宮・勝長寿院、永福寺)の1つで、広い苑池は浄土庭園といわれ、砂利をしきつめた洲浜の景観をはじめ、数多くの庭石・立石、左翼廊脇に池にそそぎ込む遣水がつくられ、池に景石を配した庭園になっている。」(※)
建久3年(1192)に本堂の二階堂が、建久5年年(1194)までに阿弥陀堂・薬師堂などの三堂が完成している。
南側の阿弥陀堂と北側の薬師堂は、二階堂と複廓とよぶ幅の広い廊下で結ばれ、両脇堂から三堂前の苑地に向かって翼廊がのびていることから、三堂・複廊・翼廓の各建物が一体となって、苑池とともに伽藍を構成している。二階堂前の池には橋がかかっていた。
数度の火災に遭ったが、応永12年(1405)の火災で主な建物が焼け、その後は再建されなかった。