大御堂橋の西側に文覚上人が住んだといわれる文覚屋敷跡がある。文覚は、遠藤盛遠という武士だったが渡辺(源)渡の妻の袈裟御前に懸想し、誤って殺してしまった。その後、供養のために出家して僧侶になったといわれる。
滑川は十二所と二階堂の谷奥に源をもつ、約6.3kmの二級河川です。川底が蒼苔で滑るから滑川と称した。浄妙寺よりやや上流が胡桃川、それより下流が滑川となり、文覚屋敷あたりでは坐禅川、夷堂橋のあたりで夷堂川、延命寺橋付近では墨売川、閻魔橋から河口までを閻魔川という。
文治元年(1185)、初代将軍源頼朝は、父源義朝の供養のため勝長寿院を創建、奈良から仏師成朝を招いて、黄金の阿弥陀像を造らせて安置し、盛大な儀式を行ったと伝えられる。阿弥陀如来を本尊として建立した寺院で、惣門、本堂、弥勒堂、五仏堂、三重塔なども建てられ、鶴岡八幡宮・永福寺と並ぶ三大寺院に数えられた。
建久元年(1219)、鶴岡八幡宮で暗殺された三代将軍源実朝も火葬のうえ当寺のかたわらに埋葬されたという。