荏柄天神社は、縁起によれば、長治元年(1104)8月25日に雷雨とともに天神画像がくだり、里の人が社殿をたてその画像をおさめ、大イチョウの木を植え、神木としたという。大倉幕府の鬼門の守護神として崇拝されたと伝えられる。
「九州の太宰府天満宮や京都の北野天満宮と並ぶ日本三天神の1つに数えられている。明治の神仏分離まで、東寺の末寺である一乗院(廃寺)が別当として管理していた。神門をはいると、左右に紅梅と白梅を配したさきに、鶴岡八幡宮の仮殿を移した拝殿と本殿からなる社殿がある。(境内国史跡)」(※)
社殿脇に「かっぱ筆」の石碑(かっぱ絵は漫画家清水崑、裏の文字は作家川端康成筆)が建てられている。
本殿は、元和8年(1622)鶴岡八幡宮造営のときに八幡宮の若宮社本殿を移築した、鎌倉に残る最古の木造建築である。本殿は三間社流造造の形式で、社宝には「弘長元(1261)年」銘の木造天神坐像(国重要文化財)や、木造菅公立像(国重要文化財)があり、ともに鎌倉期の作で「怒り天神」ともいう。
拝殿の左手上に「絵筆塚」がある。清水昆、横山隆一らによって建てられたもので、自然石には「漫画家154人の河童絵」がぎっしりと描かれている。
大イチョウは鎌倉では鶴岡八幡宮の大銀杏につぐ大木である。根回り6.5m、樹齢は900年と伝えられる。