当山は、鷹峰山、寶樹林源光庵と号し、今より670年前の貞和2年(1346)臨済宗大本山大徳寺二代徴翁国師の開創によるものであるが、元禄7年(1694)加賀大乗寺二十七代卍山道白禅師が、当寺に住持せられ、これより曹洞宗に改まったのである。
本堂は元禄7年(1694)の創建であり、卍山禅師に帰依した金沢の富商、中田静家居士の寄進により建立されたものである。本尊は華厳の釈迦牟尼佛、脇立に阿難尊者、迦葉尊者を祀る。
本堂裏の庭園は枯山水であり、北山を借景とし、四季を通じて趣きがあるが、特に秋の紅葉時には一段の風情がある。
本堂には、悟りの窓と名付けられた丸窓と、迷いの窓という角窓がある。
悟りの窓は円型に「禅と円通」の心を表し、円は太字宙を表現する。
迷いの窓は角型に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表している。
「本堂内の血天井は、伏見桃山城の遺構であり、慶長5年(1600)7月徳川家康の中臣・鳥居彦右衛門元忠一党1800余人が、石田三成の軍勢と交戦したが、武運拙なく討死し、残る380余人が自刃して相果てたときの恨跡である。」(※)