紀尾井町界隈 歴史散歩
(赤坂見附~四ツ谷)

週末ウォーキング / 東京散歩 / 千代田区散歩

散歩コース

赤坂見附駅(地下鉄日比谷線)~東京ガーデンテラス紀尾井町~ホテルニューオータニ(東京)~清水谷公園~紀尾井坂~喰違見附跡~尾張名古屋藩屋敷跡~四ッ谷駅(JR中央線)

 紀尾井町と呼ばれる一帯は、紀伊家尾張家井伊家の三邸があったのでこの名がある。現在の紀尾井町1番地から3番地(東京ガーデンテラス紀尾井町一帯)を紀伊家、4・5番地(ホテルニューオータニ一帯)を井伊家、6・7番地(上智大学一帯)を尾張家で占めていた。

mark東京ガーデンテラス紀尾井町(とうきょうガーデンテラスきおいちょう)
東京ガーデンテラス紀尾井町
東京ガーデンテラス紀尾井町
紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡の碑
紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡の碑

 この一帯は、明暦3年(1657年)明暦の大火(振袖火事)の後に拝領。文政6年(1823)に焼失するまで紀州藩徳川家上屋敷であったが、その後再建されず、嘉永3年(1850)には紀州藩徳川家中屋敷となった。
紀伊藩徳川家は、徳川家康の十男徳川頼宣に始まる家で、尾張家(九男徳川義直)、水戸家(十一男徳川頼房)と共に御三家と称された。頼宣は、慶長8年(1603)常陸水戸藩主、ついで慶長14年(1609)駿府藩主を経て、元和5年(1619)に紀州藩主となり、紀伊国と伊勢国の一部を領地とした。紀伊徳川家は、以降、十四代にわたって明治維新まで続いた。」()

花の広場
花の広場
テラスの小道
テラスの小道

 東京ガーデンテラス紀尾井町は、オフィス・商業施設等が入居する紀尾井タワーと賃貸マンションの紀尾井レジデンスの2棟で構成されている。

赤坂プリンス クラシックハウス(旧李王家東京邸)
赤坂プリンス クラシックハウス(旧李王家東京邸)

 「グランドプリンスホテル赤坂旧館」として親しまれ、洋館「旧李王家東京邸」は、昭和5年(1930)に北村耕造と権藤要吉らの設計により建設され、平成23年(2011)には東京都指定有形文化財に指定された。

水の広場
水の広場
水の広場前
水の広場前

赤坂プリンス クラシックハウス 正面
赤坂プリンス クラシックハウス 正面
markホテルニューオータニ(東京)・日本庭園
ザ・メイン
ザ・メイン

近江彦根藩井伊家屋敷跡の碑
近江彦根藩井伊家屋敷跡の碑
案内板
園内の案内板

 この地には、江戸時代に彦根藩井伊家中屋敷があり、井伊家は外桜田にあった永田町邸を上屋敷として使用していた。
 「井伊家は、武勇の誉れが高い家柄で、彦根藩初代藩主井伊直政は、関ヶ原の戦いで徳川家康の軍奉行として活躍した。慶長5年(1600)近江佐和山に18万石で封ぜられ、慶長9年(1604)直政の子直勝の時代に彦根藩主となり近江国等を領地として、以降、十六代にわたって明治維新まで続いた。井伊家は、譜代大名の筆頭であり、大老職に任じられる名家でもあった。幕末に幕政を動かした井伊直弼は、特に有名である。」()

枯山水庭園
枯山水庭園

 枯山水庭園には、赤褐色の独特色彩した赤玉石の庭石が配置されている。

赤玉石
赤玉石
佐渡の化石
佐渡の化石

清泉池
清泉池(公園・庭園)

 清泉池は、緋鯉、真鯉などが見られる。

太鼓橋
太鼓橋
石心亭
石心亭

大谷米太郎像
大谷米太郎像
ガーデンタワー
ガーデンタワー

 大谷米太郎は富山県生まれ。昭和39年(1964)東京オリンピック開催に当り、国の要請に応じてホテルニューオータニを建設した。

和楽庵(茶室)
和楽庵(茶室)
x正面 ガーデンラウンジ
正面 ガーデンラウンジ

ぬれさぎ灯籠(江戸時代)
ぬれさぎ灯籠(江戸時代)
十二支が刻まれた春日灯籠
十二支が刻まれた春日灯籠

 日本園内には、数多くの灯篭が配置されている。

寛永寺灯籠
寛永寺灯籠
十三重の塔
十三重の塔

 寛永寺灯籠は、上野寛永寺より大谷米太郎が購入したもの。

なだ万本店 山茶花荘
なだ万本店 山茶花荘
もみじ亭
もみじ亭

mark清水谷公園(しみずだにこうえん)
大久保利通公哀悼碑
大久保利通公哀悼碑

 「明治11年(1878)に暗殺された大久保利通をしのんで、明治21年(1888)5月に建立された碑である。
 大久保利通は、薩摩藩出身の政治家で、明治維新後は版籍奉還や廃藩置県などを主導し、初代内務卿に就任した。西南戦争の終結後、一部の士族らが大久保の政策に反発し、明治11年(1878)5月14日朝、麹町清水谷において、赤坂仮皇居内の太政官へ出任する途中の馬車を襲い暗殺した。この事件は「紀尾井坂の変」と呼ばれている。
」()

心字池
心字池

 湧水があったことから清水谷と呼ばれるこの周辺は、明治23年(1890)に東京市によって整備され清水谷公園となった。

復元された湧水
復元された湧水
江戸水道の石枡と木管
江戸水道の石枡と木管

 発見された江戸水道の石枡と木管は、四谷門をわたり江戸城内に給水された玉川上水幹線で、数段重ねた石枡に木樋を繋いでいる。

mark紀尾井坂(きおいざか)
紀尾井坂
紀尾井坂
開業25周年記念ガス燈
開業25周年記念ガス燈

 清水谷から喰違見附へと登る坂道が紀尾井坂である。

mark喰違見附跡(くいちがいみつけあと)
江戸城 喰違見附跡
江戸城 喰違見附跡

 江戸時代初期の慶長17年(1612)に甲州流兵学者の小幡景憲によって縄張りされたと伝わる、江戸城外郭門の一つ。通常江戸城の城門は枡形門と呼ばれる石垣を巡らしたが、ここは土塁を前後に延ばして直進を阻むという、戦国期以来の古い形態の虎口(城の出入口)構造となっている。

mark尾張名古屋藩屋敷跡(おわりなごやはんやしきあと)
尾張藩徳川家中屋敷跡の碑
尾張藩徳川家中屋敷跡の碑
ソフィア通り
ソフィア通り

 尾張徳川家は、御三家と称され、初代藩主徳川義直が年長で知行高も多かったため、御三家筆頭となり大名の最高位に位置した。尾張徳川家は以後、十六代にわたって明治維新まで続いた。

外堀土手
外堀土手
上智大学
上智大学

 外堀土手は、春になると満開の桜を楽しむことができる散策路である。
 上智大学一帯は、尾張藩徳川家中屋敷である。

map 紀尾井町周辺 散歩マップ

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