散歩コース
新宿駅(JR山手線)~東京都庁~新宿中央公園~十二社熊野神社~常圓寺~西新宿駅(地下鉄丸ノ内線)平成3(1991)、現在の都庁舎は丸の内から移転し新宿区西新宿二丁目に完成した。第一本庁舎は高さ243m(地上48階)、第二本庁舎は高さ163m(地上34階)である。
展示コーナーでは、オリンピック・パラリンピックのオリジナルフラッグの展示、東京2020大会のPRコーナーを設置している。
展望室からは、東京都内の全景が眺められるスポット。よく晴れた日には、西方面に富士山を見ることができ、夜間には高層ビル街の美しい夜景を楽しむことができる。
旧区立淀橋浄水場跡公園の一角から、新宿中央公園の東側半分を含む広大な区域には、かつて淀橋浄水場があった。玉川上水を近代的施設に改良して、明治44年(1911)に開設され1日約48万tの飲料水を東京市内に供給していたが、昭和40年(1965)、東村山浄水場に移転した。熊野神社などを含め新宿副都心の一環として、昭和43年(1968)新宿中央公園として生まれかわった。
この像は江戸城を築いた太田道灌が武蔵野の原で狩をしたときの伝説の一情景であります。
六角堂は、旧淀橋浄水場の洋風四阿で、階段を上がった先にある富士見台と呼ばれる築山上にある。
十二社熊野神社の境内は広く、渓流や滝があり、江戸西郊の清遊地として大田南畝(蜀山人)ら江戸の文人墨客に親しまれ、芝居や浮世絵にも登場するほどであったという。
神輿は、神社の例大祭などで氏子区域を巡幸するもので、古くは奈良時代の記録に見られる。
水鉢は文政3年(1820)3月に奉納されたもので、江戸時代後期の狂歌師大田南畝の書による銘文が刻まれてい
現在新宿中央公園の一角にある熊野神社は、紀伊国熊野出身の中野長者が勧請したと伝えられ熊野三山の12の神を祀ったことから十二社とよばれて住居表示変更前は町名になっていた。
島川玄丈人壽兆碑は、紀州徳川家の侍医で、鍼術の大家島川草玄の長寿を祝って、紀州藩士川合衡の撰文により、文化4年(1807)に造られたものである。
ここ十二社の池が、池や滝を擁した江戸西郊の景勝地であることを記した記念碑で、嘉永4年(1851)3月に建てられました。高さ210cm、幅119cm、幕末期に江戸市中の様子を記した『江戸繁盛記』を著した儒学者寺門静軒と、中野宝仙寺の僧侶負笈道人により、当時名高かった景勝地十二社の様子を紹介したものです。
高層ビル街の中に咲く、常圓寺のしだれ桜がとても綺麗でした。
夜のライトアップされた枝垂れ桜は、2019年3月27日の「報道ステーション」でテレビ中継された。
常圓寺は、空襲で焼失したため、庫裏は明治年間建造の日野市豊田の旧名主(豪農)の住宅を戦後移築したもので、旧態をよくとどめている。
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