散歩コース
用賀駅(東急田園都市線)~砧公園~東宝スタジオ~馬事公苑~世田谷代官屋敷~松陰神社~三軒茶屋駅(東急田園都市線)環八と東名高速入口に囲まれた砧公園は都営ゴルフ場の跡地。ゴルフ場の芝生をたっぷりと残してあるので、緑のカーペットが一面に広がり、ひろびろとした印象が強い。ねむの木広場、アスレチック広場、こどもの森、ファミリーパークなどがある。
砧公園の北側に世田谷美術館がある。昭和59年(1984)着工し、昭和61年(1986)3月完成・開館した最新の美術館である。構成は企画展示場・常設展示場を中心に、区民ギャラリー・講堂その他がある。収蔵作品は1987年現在2300点である。特に、ルソーの「サン・ルイ島」が知られている。
東宝スタジオは、令和2年(2020)に『ゴジラ』シリーズの作品を生み出した東宝映画が東宝スタジオサービスと合併し「TOHOスタジオ株式会社」となった。
「日本中央競馬会が馬(乗馬)に関する知識の普及と馬術の訓練のため、昭和15年(1940)開設した。昭和39年(1964)第18回オリンピック東京大会の馬術競技場として使用された。そのときの優勝記念碑の基礎に 江戸城の石垣を使用した。この石垣には江戸城築造に参加した諸藩の紋所が刻まれている。構内20万㎡の広い敷地で、馬場・走路・参考室・憩いの場がある。」(※)
本年は、「母衣引」、「流鏑馬」、「甲冑競馬」、「ばんえい競馬」、「神旗争奪戦」などの伝統馬事芸能披露と、いろいろなエリアで「馬とのふれあい」イベントが開催された。
武田流一門による流鏑馬。明治以降、武田流第44代竹原椎路の高弟で代見格の井上平太(旧細川藩士)の系統を金子有燐が、鎌倉を活動拠点として継承。「武田流」は古式弓馬術の保持、発展のため、全国各地で流鏑馬を披露している。
福島県相馬地方に古くから伝わる行事で、承平年間(931~937年)の頃、平将門が関八州の兵を下総小金ヶ原に集め、野馬を追い、武を練ったのがそもそもの始まりといわれる。
鉄そりを馬に曳かせ、全長200メートル、途中に2ヶ所障害のある直線コースで力と速さを競うレース。北海道の帯広の地で70年近くの歴史を誇る。サラブレットが疾走する平地競争とは違い、馬体重およそ1トンもの馬が、500キロ~1トンものそりを曳くばんえい競馬。
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毎年7月23日から25日にかけて相馬市、南相馬市で、相馬中村、相馬太田、相馬小高の三神社の合同行事として、盛大に行われている。
メインアリーナ北側、さまざまな品種の馬たちを紹介。
「代官屋敷の表門(長屋門・茅葺)・母屋(寄棟造・茅葺)は、構造手法から17世紀後半から18世紀初期のものと推定され、記録上元文2年(1737)の大改築のときのものとされている。母屋の広間から各室の長押には、槍・薙刀や補物用三つ道具がかけてある。
代官屋敷の敷地内に、昭和39年(1964)開館し、1987年増改築した世田谷区立郷土資料館がある。世田谷通史の展示、大場家と代官屋敷、あかりのいろいろの特別展示もある。屋外に10点ほどの石造遺物も展示している。」(※)
「松陰神社は、かつて長州藩主の別邸があった所に、吉田松陰および門人である伊藤博文、山県有朋はじめ、松下村塾の生徒をお祀りしている。
境内には吉田松陰の墓がある。松陰は安政6年(1859)10月27日、江戸伝馬町牢屋敷で死刑、小塚原(荒川区)に葬られた。文久3年(1863)、高杉晋作ら門弟が遺体を毛利家抱屋敷の若林に移葬した。」(※)
明治41年(1908)、門弟木戸孝允・伊藤博文・山県有朋・桂太郎・乃木希典らが松陰50年祭を営み、石の鳥居と石灯籠26基を建立。昭和の初め社殿大修理が行なわれた。
「天保元年(1830)8月4日、 吉田松陰は長州藩主・杉百合之助の次男として萩城下に生まれた。本名、杉大次郎。6歳の時に叔父で山鹿流兵法の師範であった吉田大助の養子になるが、翌年、義父が死去したことから吉田の家督を相続し、吉田大次郎と改名した。
墓標は「吉田寅次郎藤原矩方墓」と刻まれ、その向って右に小林民部良典、頼三樹三郎、福原乙之進、左側に来原良蔵・同夫人、綿貫治良助、中谷正亮、野村靖・同夫人の墓など師弟の墓が並んでいる。」(※)
松下村塾は山口県萩に保存されているが、その「松下村塾」を参考にして作られたレプリカがある。
松陰は、叔父の玉木文之進が開いた「松下村塾」に通うようになる。ここで徹底的に兵学をたたき込まれた 松陰は、なんと9歳で藩校「明倫館」の教授見習いとなり、10歳で教授となった。さらに、11歳で藩主・毛利敬親を前に軍学講義を行い、大人たちを敬服させたという。
江戸時代にこの追分の地に信楽(のち石橋屋)・田中屋・角屋の三軒の休み茶屋があり、 矢倉沢往還の目標になっていた。 矢倉沢往還は大山道ともいわれ、青山から世田谷新宿・用賀・二子を経て多摩川をわたり、海老名・伊勢原を過ぎ、足柄峠の矢倉沢に至る道筋である。
三軒茶屋はウォーキングの終点になることが多く、歩いた後はいつも決まって、とんかつ「しおじま」の店で美味しいトンカツを頂いていた。
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