武田流流鏑馬
【鶴岡八幡宮】
流鏑馬の語源は、「矢馳せ馬」(やばせめ)が転じたものといわれ、その字句も「馬に乗って鏑矢を射流す」に由来するといわれています。6世紀、欽明天皇の時代、宇佐八幡宮(大分県)に神功皇后、応神天皇をお祀りし「天下泰平、五穀豊穣」を祈願して、三つの的を馬上から射させられたことが始まりとされています。(参考 大日本弓馬会HP)
『吾妻鏡』のくだりでは、平家に勝利した初代将軍源頼朝は、源氏の氏神である八幡宮の神前にかねてから関心の深かっだ流鏑馬を奉納するため、その故実をいろいろと調べ、もとは宮廷武士で弓馬の達人でもあった歌人西行法師にも流鏑馬神事について尋ねています。こうして頼朝が文治3年(1187年)8月15日に武田信義、小笠原遠光を検見役として、鶴岡八幡宮の放生会に奉納した流鏑馬が鎌倉の流鏑馬神事の始まりです。(参考 大日本弓馬会HP)
馬場本から馬場末に向かって馬を疾走させる直線区間で約218m。進行方向左手に間を置いて3つの的を立てる。
武田流は、武田太郎信義を祖とする武田家が伝えた弓馬の故実のことで、約800年の歴史を持つ流鏑馬における最古の流派の1つです。
春の鎌倉まつり最終日に、恒例の流鏑馬神事が開催。青空の下、近くで迫力ある流鏑馬を楽しむことが出来ました。 年々、外国人観光客も増え、限られた一般席は大勢の人で溢れていた!
4月の「鎌倉まつり」では、静の舞とともに流鏑馬が奉納されている。
【明治神宮】
明治神宮では大正9年、鎮座奉祝流鏑馬が武徳会により奉納。昭和7年以降は大日本弓馬会より毎年奉納されている。
流鏑馬神事の最後「凱陣の式」では、最多的中者が検分を受ける。
【馬事公苑】
武田流一門による流鏑馬。明治以降、武田流第44代竹原椎路の高弟で代見格の井上平太(旧細川藩士)の系統を金子有燐が、鎌倉を活動拠点として継承。「武田流」は古式弓馬術の保持、発展のため、全国各地で流鏑馬を披露している。
【片瀬海岸東浜】
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の武者行列練り歩き。武田流・流鏑馬の「天長地久の式」「騎射」「凱陣の式」などが、海・江の島を背景に浜辺で繰り広げられた。
【曽我梅林】
毎年2月11日の祝日、小田原梅祭りの期間中に原会場で歴史ある流鏑馬が披露される。我兄弟の養父・曽我祐信は初代将軍源頼朝に仕えた弓馬の達人だったと伝えられる。
大日本弓馬会が支援する武田流は、暴れ馬、速い馬を乗りこなすことを身上とするなど、鎌倉武士が鍛錬に鍛錬を積んだであろう実戦的な技術・気風を旨としています。大日本弓馬会とともに、明治神宮、上賀茂神社、寒川神社、三嶋大社、富士御室浅間神社、鎌倉まつり(鶴岡八幡宮)、小田原梅まつりなどで流鏑馬や笠懸を神事として奉納し、逗子海岸、三浦道寸祭りなど地域のお祭りにおいても、流鏑馬や笠懸を披露しています。(参考 大日本弓馬会HP)
小笠原流鏑馬
【穴八幡宮】
徳川時代に入ると、小笠原経直は、 徳川家康に招かれ、二代将軍徳川秀忠の弓馬術礼法師範となり、御維新まで高家として幕府の弓馬術礼法の師範を務めています。また20代貞政は享保9年(1724)八代将軍徳川吉宗の命により新儀式としての流鏑馬を制定し、高田馬場で度々行なっています。(参考 小笠原流弓馬術礼法・小笠原教場HP)
小笠原長清(父、小笠原遠光)は26才のときに源頼朝の『糾方』(弓馬術礼法)師範となり、その後道統は長男の長経に伝えられました。 長経は源実朝の師範となっています。長経には二人の男子が居りました。長男の長忠と次男の清経です。 長男の長忠の子孫は、信州松本の城主となり、次男清経は伊豆の国の守護職となり伊豆の赤沢に住むようになります。弓馬術礼法は長男の長忠が伝承し、小笠原一族の惣領家となります。(参考 小笠原流弓馬術礼法・小笠原教場HP)
「新宿区指定無形民俗文化財」に指定されています。二の的の流鏑馬は4倍スロー編集しています。
八代将軍徳川吉宗は途絶していた久しく流鏑馬の儀式を制定し、享保13年(1727)流鏑馬を高田馬場で行ったのが始まり。
【鶴岡八幡宮】
2023.9.16 鶴岡八幡宮 流鏑馬神事(例大祭)
流鏑馬神事は、頼朝が文治3年(1187)八幡宮に奉納したのにはじまり、神酒拝戴式ののち、奉行・射手・諸役が馬場入りし、鎌倉時代を思わせる華麗な狩衣姿の馬上の射手が、鏑矢で3つの的を射る勇壮なものである。
崇敬者(槐の会)大祭において、毎年10月初旬に流鏑馬神事が行なわれている。一般参拝者も拝観できる。
【明治神宮】
百々手式とは十人が十手ずつ(矢二本が一手)射るところからきており、大きな祝典の際、神を勧請し弓をもって祈念する儀式。平安時代に宮中儀式として起こり、鎌倉時代に武士の儀式となって発展した。
【日光東照宮】
小笠原流一門による流鏑馬奉納、4年ぶりの実施です。
写真連写と動画4倍スローの編集動画です。
現在、先代宗家の三十代小笠原清信は5月3日の賀茂御祖神社の流鏑馬をはじめとして、明治神宮、橿原神宮、大宮八幡宮、靖国神社、鶴岡八幡宮、加茂別雷神社、住吉大社、日光東照宮、鷲原八幡宮、平塚八幡宮、宮崎神宮、 宮城県護国神社等の多くの神社において、流鏑馬、また大的式、百々手式、草鹿式等を奉仕している。(参考 小笠原流弓馬術礼法・小笠原教場HP)