初冬の大楠山ハイキング
(衣笠~立石)

週末ウォーキング / 神奈川散歩 / 三浦半島散歩

散歩コース

衣笠駅(JR横須賀線)~大楠山~大楠芦名口バス停~浄楽寺~秋谷の立石~立石バス停(京急バス)

mark大楠山(おおぐすやま)

 横須賀しょうぶ園の手前駐車場横より大楠山(自然)へ上がる道に入る。横浜横須賀道路の下を抜けた辺りから、阿部倉ハイキングコースとなっており、渓谷沿いの静かな登りであった。
 長坂からの登り道と合流した後は、葉山国際カントリー倶楽部の横を通り過ぎると大楠山の頂上に着いた。

大楠山の展望
大楠山の展望(景勝50選)
景勝50選
景勝50選

 東には美しい小田和湾の海。相模湾の輝く波をとおして、その奥には天城、箱根の連山から丹沢の山並みが連なる。ひときわ大きな富士山は秀麗そのもの。南の洋上に浮かぶのが大島。時には白い煙を見ることもできる。東京湾の奥に房総の低い山々が眺められる。

 頂上広場では中高年の登山客(約20名)、東京から来た大学生(植物研究の為の登山、約30名)らが、大楠山の展望を楽しんでいた。曇り空だった天気も大楠山の頂上に着いた時には、所々に青空が見えるほど回復し、螺旋階段を上がった展望台からは360度の展望が出来た。

mark浄楽寺(じょうらくじ)
入口
入口
入口付近にある前島密翁像
入口付近にある前島密翁像

 大楠山から「佐島(さじま)・大楠山(おおぐすやま)のみち」をのんびり下り、国道134号の大楠芦名口バス停に出て浄楽寺へ歩いた。

浄楽寺
浄楽寺

 「金剛山勝長寿院と号し、本尊は阿弥陀三尊である。寺伝では、はじめ文治元年(1185)、初代将軍源頼朝が父義朝らの供養と平家追討の戦勝記念として鎌倉大御堂谷に建立し、その後建永元年(1206)の大風で破損したので、三代将軍源実朝和田義盛に復興を命じ、義盛は北条政子とはかり、この地に移したという。」()

本堂の額
本堂の額
収蔵庫
収蔵庫

 文治5年(1189)に和田義盛が造営した七阿弥陀堂の1つで、鎌倉後期の僧寂慧良暁が復興に尽力したともいう。天正19年(1591)には徳川家康より3石の朱印をあたえられている。現在、本堂裏手に収蔵庫がつくられ、このなかに本尊の阿弥陀三尊像が、不動明王立像や毘沙門天立像(運慶作)(いずれも国重文化財)とともに安置されている。

前島密の墓
前島密の墓
前島密翁像
前島密翁像

 収蔵庫の左手奥の墓地には、近代郵便制度の父といわれる前島密の墓がある。晩年、前島が浄楽寺の敷地内に如々山荘という別荘をつくり住んでいた緑による。
 前島密は、越後国頸城郡有村下池部(現・新潟県上越市下池部)出身。イギリス留学から帰国し、郵便制度の確立に尽力し「日本近代郵便の父」と称される。「郵便」「切手」などの名称は、密の創案である。大坂遷都を提案する大久保利通へ江戸遷都を建言した。鉄道敷設の立案、電信・電話事業の開設、国字の改良など、日本の功績を残した。現在でも1円切手の肖像として有名である。

mark秋谷の立石(あきやのたていし)
秋谷の立石
立石海岸からの富士【関東の富士見百景】

 「高さ約12m、周囲約25mの巨岩であろう。海岸に近い海中に孤立して、足元に広がる岩礁とともに波に洗われ、古くから秋谷海岸の景勝とされてきた。岩礁に当たって砕ける白い波の中に立つ巨岩は凛々しく、その後方には、凡天崎と呼ばれる岩が広がり、岩の右上には、小さな松の木が根を這い、緑のアクセントを付けている。さらにその背後、松の木と相対した左側の水平線上には、晴れて空気の澄んだ日に限られるが、富士山が美しい姿を浮かび上がらせる。」()

秋谷の立石
秋谷の立石(景勝50選)
秋谷の立石
秋谷の立石

菜の花と富士山(三浦半島)
2024.1.12 菜の花と富士山(三浦半島)
youtube

 江戸時代の風景画家として良く知られている初代安藤広重(1797~1855)は、この秋谷の立石の景勝がいたく気に入ったと思え、「相州三浦秋屋の里」という題の浮世絵をものしている。

立石公園
立石公園
立石公園
立石公園

景勝地「秋谷の立石」からの富士山
2004.4.29 景勝地「秋谷の立石」
youtube

 午後3時。夕日の写真を撮るには時間が早かったので、海岸に下りてしばらくの間、弱い太陽の日射しを浴びながら日光浴をする。そして、夕方になると沈む太陽と夕日に染まった朱色の海と立石の黒いシルエットが描き出された。

map 大楠山周辺 散歩マップ

map 立石公園周辺 散歩マップ

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