散歩コース
石神井公園駅(西武池袋線)~石神井公園~道場寺~三宝寺~石神井氷川神社~石神井城跡~石神井公園駅(西武池袋線)石神井公園ふるさと文化館・図書館近くに豊島氏の菩提寺の道場寺がある。
「道場寺は、豊島山といい曹洞宗の寺です。この寺は、文中元年(北朝応安5年、1372年)、当時の石神井城主豊島景村の養子輝時(北条高時の孫)が、蘭溪道隆(大覚禅師)を招いて建てたもので、その時、輝時は自分の土地を寺に寄附して、豊島氏代々の菩提寺としたと伝えられています。今でも豊島氏の菩提が弔われ、境内には文明9年(1477)太田道灌に滅ぼされた豊島氏最後の城主泰経や一族の墓と伝えられる石塔3基があります。道場寺には、三代当主北条氏康印判状が所蔵されています。」(※)
山門を入ってすぐ左の田島鉄平君之碑は、明治期の石神井地域の養蚕の発展について記している。
寺伝によれば、応永元年(1394)、権大僧都幸等が下石神井村に開いたという。文明9年(1477)の豊島氏滅亡後、その跡の現在地へ移った。寺宝には「文明四(1472)年」の銘のある来迎三尊仏画板碑がある。
「石神井氷川神社は、応永年間(1394~1428)に豊島氏が武蔵一宮氷川神社(大官市)の分霊を城内に祀ったのが始まりで、落城後は石神井郷(谷原・田中・上石神井・下石神井・関の5村)の総鎮守として崇敬された。境内の享保12年(1727)の手洗水鉢に「神井郷鎮守社」と刻されている。本殿左右の灯寵は、元禄12年(1699)に豊島氏の子孫が奉納したもの。」(※)
「石神井城は、秩父平氏の一族で、石神井川流域を中心とする現在の東京都区部北側の地域に平安時代末期から室町時代中期頃まで勢力を持っていた、豊島氏の居城でした。石神井川と三宝寺池に挟まれた標高約49mの舌状台地上に所在し、東西約350m、南北約350mの規模の主郭(内郭)と外郭からなる、比較的単純な構造の中世城館です。昭和31年(1956)以降の数次の発掘調査によって、主郭(内郭)や土塁築土から12世紀から16世紀前半までに属する陶磁器が出土しています。
文明8年(1476)、城主の豊島泰経は、武蔵守護の上杉顕定に背いた長尾景春に味方しました(長尾景春の乱)。そのために顕定を援助していた江戸城主の上杉定正(扇谷上杉氏)の家宰太田道灌に攻められることとなり、文明9年(1477)4月、石神井城は落城しました。
落城後、泰経が白馬に乗って三宝寺池に深く沈み、二女照姫も後を追って入水したなど、落城にまつわる伝説が伝えられています。」(※)
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