青森観光旅行

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観光コース

大館能代空港~白神十二湖(鶏頭場の池・青池)~桜林公園(アソベの森 いわき荘)
岩木山総合公園~岩木山神社~弘前公園~弘前駅(JR奥羽本線)

mark白神十二湖(しらかみじゅうにこ)

 津軽国定公園「十二湖」は、江戸時代に この地を襲った大地震によって、谷口がせき止められ地盤が陥没して形成された。青池は、水が群青色に透きとおり、一条の陽光がさしこむと鮮やかさを一段と増す。

鶏頭場の池
鶏頭場の池

鶏頭場の池
鶏頭場の池

2017.5.4 白神十二湖(鶏頭場の池・青池)
2017.5.4 白神十二湖(鶏頭場の池・青池)
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mark桜林公園(おうりんこうえん)
朝日に映えるヤマザクラ
朝日に映えるヤマザクラ
(花の名所)

岩木山とオオヤマザクラ
2017.5.5 岩木山の桜・岩木山神社(桜林公園・世界一の桜並木)
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 桜林公園・岩木山総合公園など県道3号沿いにオオヤマザクラを中心に、約6500本の世界一の桜並木が総延長20kmにわたり植えられている。

岩木山総合公園
岩木山総合公園

世界一の桜並木
世界一の桜並木

関連ページ(ヤマザクラの名所)


mark岩木山神社(いわきやまじんじゃ)
鳥居
鳥居
鳥居
鳥居

参道
参道

 岩木山は古くから信仰の対象であり、神社の創建については、大国主に田光沼(つがる市)の竜女が珠を献じた話、花輪某が錫杖・卍字旗を用いた話、安寿姫と厨子王の話、坂上田村麻呂が父刈田暦をまつった話など多くの言い伝えがある。

楼門
楼門

中門
中門(国重要文化財)

 「北麓に下居宮、頂上に奥宮本宮があったが、寛治5年(1091)に神託によって、100の沢を越えて現在の百沢に移ったという。天台密教が伝わると、岩木山の3峰を熊野三山にあてはめ、本地垂遊説に基づいて、中央の岩木山を国常立命・阿弥陀如来、右峰の鳥海山を大山咋命・薬師如来、左峰の巌鬼山を多都比姫命・十一両観音とする岩木山三所大権現が成立した。」()

中門側面
中門側面
中門の彫刻
中門の彫刻

拝殿
拝殿

 「歴代弘前藩主の崇敬を受け社殿が建立・整備されていった。藩は 別当を百沢寺(真言宗)とし、寺領400石を寄進、子院・神官をおいた。明治4年(1871)、神仏分離によって百沢寺は廃寺になり、三尊仏(阿弥陀如来・十一両観音菩薩・薬師如来)及びその厨子堂および楼門の五百羅漢の一部は長勝寺へ移された。大祭は旧暦8月朔日でお山参詣(岩木山の登拝行事、国民俗)が行われる。旧暦1月7日の七日堂祭は、ヤナギの枝を氏子が打ちつけて、その年の豊凶を占うものである。」()

社務所
社務所
境内
境内

 岩木山頂がよくみえる鳥居の前から、ゆるやかな石畳の参道をのぼると、右手に社務所がある。ここが百沢寺跡である。楼門・拝殿は、もと百沢寺のものであり、密教道場である。奥門・瑞垣・本殿・中門は極彩色の華麗なもので「奥の日光」とよばれている。

mark弘前城跡(ひろさきじょうあと)
りんごの風の銅像(弘前駅前)
りんごの風の銅像(弘前駅前)
津軽為信の銅像(文化センター前)
津軽為信の銅像(文化センター前)

 「戦国乱世に南部氏支配の津軽地方の独立を果たした津軽為信、後の津軽為信(弘前藩初代藩主)は天正18年(1590)、豊臣秀吉から、津軽の所領を認めるという朱印状を受けている。名字を津軽と改めた。
 慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いでは2000余りの兵を率いて徳川家康の東軍として参戦。美濃大垣城攻めに参加している。その功績によって、所領を保証されただけでなく加増を受けたこの後、為信は弘前藩を立藩。慶長8年(1603)には現在の弘前にあたる高岡の地に、新城の築城を決めた。
」()

三の丸東門(国重要文化財)
三の丸東門(国重要文化財)
三の丸東門
三の丸東門

 弘前城(津軽氏城跡)は、東に土淵川、西に岩木川が流れ、西から南にかけては急崖、束はゆるやかな傾斜の細長い洪積台地上にある、3重の堀をめぐらす平山城である。東西約800m、南北約1km、面積約48万㎡の広大な地域を占める。

ピクニック広場
2017.5.5 弘前公園の遅咲き桜
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 さくらまつりのサクラは明治15年(1882)に旧弘前藩士の菊池楯衛が、自費で城内に1000本植えたのが始まりである。大正7年(1918)「観桜会」と名づけられたのが最初の花見で、以後毎年開催されてきた。弘前さくらまつりは、来年(2018年)には100周年を迎える。

東錦桜
東錦桜
鬱金(ウコン)桜
鬱金(ウコン)桜

 ピクニック広場(三の丸)では鬱金(ウコン)・関山・東錦の遅咲き桜が見頃である。

丑寅櫓(国重要文化財)
丑寅櫓(国重要文化財)
二の丸
二の丸

 「津軽為信がこの地に築城を計画したといわれているが、本格的な築城は、慶長15年(1610)の二代藩主信枚からで、本丸の石垣に使用した石は 近くの山や、大光寺・浅瀬石などの古城館から運んだ。天守や隅櫓の建造に使用した鉄は 外ヶ浜の小国・蟹田方面で製鉄し、材木は碇ヶ関から平川へ流して運んだという。翌慶長16年(1611)にほぼ完成した。」()

鷹丘橋
鷹丘橋(公園・庭園)

 廃藩置県によって、弘前城は当初兵部省、のち陸軍省の管理となったが、城内の破却は本丸御殿や武芸所などに限られ、天守・城門・櫓は残された。明治27年(1984)弘前市に貸与され、翌年5月から公園として開放された。

弘前城跡
弘前城跡
(国史跡)

 天守(史料館として公開)が本丸の東南隅に聾えている。3重3階の独立天守で、破風や懸魚を白漆喰塗とした切妻屋根をもつ張出を、二の丸側の束と南2両の1・2階に設けているが、本丸側の北と西面は質素な造りになっている。

岩木山の眺望
岩木山の眺望(花の名所)

 「天守は、初め本丸南西隅に5階建てのものが造営されだが、寛永4年(1627)落雷によって焼失した。その後、再建されず櫓で代用してきたが、九代藩主寧親のとき、蝦夷地警備の功によって、7万石、10万石と石高が昇格したのを契機に、文化7年(1810)に隅櫓を改造する形で新築された。これが現在の天守で 東北地方に残る唯一の遺構である。」()

下乗橋
下乗橋
弘前城石垣修理中
弘前城石垣修理中

 弘前城本丸石垣の修理事業は、平成25年(2013)から行われている。

ソメイヨシノ(弘前市古木名木)
ソメイヨシノ(弘前市古木名木)

 ソメイヨシノは、旧藩士の菊池楯衛から明治15年(1882)に寄贈され、現存するソメイヨシノでは日本最古である。
 二の丸東門は二の丸東側の枡形に位置し、三の丸東門から向かって一直線上に建つ。門を潜って二の丸に入ると、与力番所があり、左方には天守が望める。

関連ページ(ヤエザクラの名所)


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