三田・白金・高輪 歴史散歩
(三田~品川)

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散歩コース

田町駅(JR山手線)~三田~立行寺~白金氷川神社~覚林寺~東禅寺~品川駅(JR山手線)

mark三田(みた)

 三田は、東京でも最古の地名『和名抄』にのる御田郷に由来するが、広く知られているのは、日本最古の私学慶應義塾の所在地で、その異名のように使われるからだである。

第一京浜(三菱自動車本社前)
第一京浜(三菱自動車本社前)

 田町駅から第一京浜を浜松町駅方面に少しもどると、三菱自動車本社前に西郷南洲・勝海舟会見之地碑がある。

西郷南洲・勝海舟会見之地碑
西郷南洲・勝海舟 会見之地碑
江戸開城談判の絵(両国公園)
江戸開城談判の絵(両国公園)

 江戸城総攻撃を目前にした慶応4年(1868)3月14日、幕府の陸軍総裁勝海舟は、この地にあった薩摩藩島津家上屋敷で東征軍参謀西郷隆盛と会見し、江戸無血開城と徳川慶喜の水戸隠退を約束させ、江戸を兵火から救った。

薩摩藩上屋敷跡
薩摩藩上屋敷跡
NEC本社ビル
NEC本社ビル
桜田通りと東京タワー
桜田通りと東京タワー
慶應義塾大学東館
慶應義塾大学東館

 慶應義塾は明治4年(1871)に、既述の新銭座から、この三田台上の島原藩松平家中屋敷を買いとって移転してきた。福沢諭吉は、腸チフスにかかって新銭座の土地がいやになり、住居を探していたら、学校もいっしょに移ろうと塾生がいう。そして東京の土地でも、おそらく最高と考えられる三田台上の空き屋敷を見つけた。

校章
校章
慶應義塾大学南校舎
慶應義塾大学南校舎

 校章の下には福澤諭吉の有名な言葉、『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』を意味するラテン語が刻まれている。

駐日イタリア大使館
駐日イタリア大使館
綱坂
綱坂

 「イタリア大使館(伊予松山藩松平家中屋敷)の庭内には、赤穂浪士四十七士のうち大石主税良金(主領のもと筆頭国家老大石内蔵助良雄の長男で、浪士中最年少の16歳)ら10人が切腹した大きい記念碑がある。」()

綱町三井倶楽部
綱町三井倶楽部

 「三井不動産株式会社管理の三井系諸会社の集会場である。佐土原藩島津家上屋敷を大正元年(1912)に三井合名会社が入手、明治の主要洋風建築のほとんどを手がけたいわゆる御雇外人の工部大学校(東京大学工学部の前身)造家学の教授ジョサイア・コンドルが設計して大正2年(1913)12月に竣工した。」()

庭園
庭園
庭園の紅葉
庭園の紅葉
日向坂
日向坂
古川(二之橋より)
古川(二之橋より)

 日向坂は、江戸時代前期南側に徳山藩毛利日向守の屋敷があった。袖振坂ともいった。
 渋谷川は渋谷区を流れ、南麻布の天現寺から古川になる。

札の辻
札の辻
札の辻交差点
札の辻交差点

 三田警察署のそばにある札の辻は、交差点の地名だが、由緒は古い。文字どおり、高札場のあった辻で、ここから東海道は、江戸市中へはいる道筋を、飯倉と芝との二またに分けた。追分の逆である。芝の先は日本橋へ達し、飯倉の先は虎ノ門を経て江戸城へ向かう。

聖坂
聖坂
最初のフランス公使宿館跡
最初のフランス公使宿館跡

 聖坂は、慶長6年(1601)に近世の東海道(港区では今の第一京浜)が徳川家康によって開かれるまでの東海道だった。これを北に下るのが聖坂で、高野山の信仰を広めて諸国を通行した高野山の僧(高野聖)が開拓したとも、信仰とともに物資流通の役割を果たした聖商人の宿があったからともいう。

亀塚公園
亀塚公園
亀塚
亀塚

 亀塚公園は文字通り塚がある。慶應義塾大学が発掘を行ったとき、盛土に混じて土師器、須恵器の破片がみられたが、古墳としての内容は発見できなかった。あるいは帆立貝形の古墳かとも思われるが、付近からは、弥生式土器も発見され、原始時代からの集落があった場所と考えられている。

魚藍坂
魚藍坂
石村近江翁の墓所
石村近江翁の墓所

 魚藍坂の名は、中途に江戸時代の繁盛仏本尊の魚藍観音を安置する魚藍寺があるからによる。この辺りは三田の寺院街とよばれ、寛永11年(1634)に計画的に寺院が造られた。

大信寺
大信寺
史跡 石村近江
史跡 石村近江(三味線製作者)

 三味線はわが国の代表的な楽器として、世界に知られている。13世紀ごろ中国に三絃としておこり、琉球に伝わり、16世紀ごろ摂津の堺(大阪府)に伝来して、京阪地方の琵琶法師に用いられた。その後種々の技法を採り入れた石村検校と、それを継いだ石村近江は、日本の三味線として、多数の名器を相継いで世に出し、邦楽の発展に寄与した。

mark立行寺(りゅうぎょうじ)
松秀寺 一遍上人立像
松秀寺
一遍上人立像
立行寺 大久保彦左衛門墓の碑
立行寺
大久保彦左衛門墓の碑

 松秀寺は一遍上人を宗祖とする浄土教の一宗派である時宗のお寺で、日限地蔵は「日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわれる地蔵菩薩である。

立行寺 本堂
立行寺 本堂

 立行寺は永8年(1631)麻生市兵衛町に彦左衛門によって創建され、同6年死去。寛文8年(1667)当地に移転した。彦左衛門忠教は小田原城主忠世の弟で戦功をたてたが無欲で将軍の御意見番を自認し戦国生き残りの硬骨漢ぶりを発揮した。『三河物語』を残したが事蹟のおおくは講談の潤色を疑わせる。

mark白金氷川神社(しろかねひかわじんじゃ)
拝殿
拝殿

 白金の氷川神社は、日本武尊の東征のとき、この丘から大宮氷川神社を遥拝したといい、出発時に残された馬を郷土玩具化したという木製の神馬があった。創建は白鳳時代(七世紀後半)という。白金の鎮守で、少なくとも伝承上は港区でもっとも古い社である。

境内社建武神社
境内社 建武神社
手水舎
手水舎
mark覚林寺(かくりんじ)
山門
山門
清正公堂
清正公堂

 覚林寺は弘化2年(1845)の大火で全焼し、山門は安政3年(1856)に再建されたものである。
 清正公堂の拝殿・幣殿は本格的な禅宗様形式を採用し、本殿も伝統的な意匠を引き継いでおり、近世以来の技術を伝えるものとして高く評価される。慶応元年(1865)に再建されたものである。

本堂
本堂
毘沙門堂
毘沙門堂

 加藤清正の朝鮮での虎退治が有名だが、その朝鮮から清正が連れ帰った王子が安房の誕生寺の一八代貫主日延になり、寛永8年(1631)に清正の位牌(大神儀)を置いた寺を建てたのか覚林寺である。俗に清正公さんという。
 毘沙門堂は、江戸最初の七福神巡りとされる元祖山手七福神の一つである。

mark東禅寺(とうぜんじ)
天神坂
天神坂
洞坂
洞坂

 天神坂は、むかし坂の南側に菅原道真の祠があったためにいう。葭原が見えるので葭見坂ともいったという説もある。
 洞坂は、法螺坂・鯔坂とも書く。このへんの字を洞村と言った。洞村とは、昔ほら貝が出たとも、またくぼ地だから、洞という等様々な説がある。

東禅寺 山門
山門(国史跡)

 幕末期の米・仏・蘭などの各国公使館に当てられた寺院は大きく改変され、東禅寺が公使館の姿を伝えるほぼ唯一の寺院であることから国史跡に指定された。

山門 仁王像(吽形)
山門 仁王像(吽形)
山門仁王像(阿形)
山門仁王像(阿形)

最初のイギリス公使宿館跡
最初のイギリス公使宿館跡
三重塔
三重塔

 幕末の開国に伴い、安政6年(1859)6月、初代英国公使(着任時は総領事)ラザフォード・オールコックが着任すると、東禅寺はその宿所として提供され、慶応元年(1865)6月まで7年間英国公使館として使用された。

本堂・大玄関
本堂・大玄関
鐘楼
鐘楼

 禅宗(臨済宗妙心寺派)の寺で大名の檀家が大変多く、一二家もあったといい、改葬されたものもあるが、現在でも見事な大名墓群(非公開)をみることができる。

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