本牧通りから本牧神社前までの広い芝生広場では、青空の下、近くの保育園児が元気よく遊んでいる様子が見られた。
【横浜緋桜 3月】
桜の季節になると、お馬通りと神社左手前には、紅色した横浜緋桜の花が美しい。
本牧神社(旧称・本牧十二天社)は旧来、本牧岬の先端(現、本牧十二天)に張り出した出島の中に鎮座し、巨古木蒼然たる杜に囲まれ、鳥居の脚元には波濤打ち寄せる風光明媚な鎮守様である。
伝記には、建久2年(1192)初代将軍源頼朝が鎌倉幕府を開くにあたり、鬼門(北東の方向)守護を祈念して平安時代から存せる神殿に朱塗厨子を奉納したと言われる。
稲荷社は稲荷大明神(宇迦之御魂神)は五穀豊穣、商売繁盛、社業繁栄、開運招福の神として古くから崇敬されてきた。
熊野速玉社は当氏子地区が漁業の盛んな地域であることから、さらなる大漁満足・航海安全の霊験あらたかな大神としてお迎えされたと考えられる。
横浜には珍しい水天宮は、安産の守り神として名高い。
本牧天神社は学問の神様といわれる菅原道真を祀る。学業成就、芸道・詩歌・舞踊成就の御神徳により、数多の人から崇敬を集めている。
「本牧神社の「お馬流し」神事
社伝によると永禄9年(1566)に始まったとされ、440年も続けられてきた神事である。茅で作った神体の「お馬」は、頭は馬で体は亀の形をしており、頭に白幣をたて、口に稲穂をくわえる。このお馬を6体つくり、祭りの前日に神社へ奉納する。当日は船をかたどった花自動車に乗せて、本牧の町内を練り歩いてから、本牧漁港で神船2隻に3体ずつ乗せる。」(※)
梛木の木は、北条政子が若き日に伊豆山に配流されていた源頼朝と梛木の木の下で、愛を誓って良縁で結ばれた「縁結びの神木」と言われている。
本牧山頂公園は小高い丘の屋根道が主園路で、季節ごとの草や樹や花、遠くの景観を楽しむことができる。
見晴らし山から、西方向は天気が良いと富士山が見られる。北方向には横浜ベイブリッジを望むことができる。
レストハウスは、休憩場所があり簡単な飲食ができる。
【横浜緋桜 3月】
広々とした広場は、子供達が自由に遊べる格好の遊び場になっている。
この横浜緋桜(原木)は、中区制70周年を記念して植樹されました。横浜緋桜は、市内港北区の桜愛好家白井勲氏が長年にわたり研究を続け、寒緋桜と兼六園熊谷桜との交配により1970年代初頭に作り出した品種です。他の品種に比べ花の数が多く、葉が出る前に開花します。また、濃い鮮やかな紅色が特徴です。
桜の木には、沢山のヒヨドリが飛び交っていた。
横浜緋桜に交じって、ソメイヨシノと大島桜が咲いていた。
園内中央のさくら広場は、青空に映える満開のソメイヨシノが綺麗である。
園内は、地元の方々の散歩道になっている。
かって本牧十二天社(現、本牧神社)があった場所で、現在は6つの歴史資料板が建てられている。鎌倉時代の地名、黒船来航・横浜開港時の変化、関東大震災時の街づくり等、当時の写真と地図を交えて詳しく説明されている。
鎌倉時代の本牧十二天は「平子の郷」、小田原北条氏の時代には「本牧郷」となり、江戸時代入ると「本牧本郷村」と呼ばれた。
嘉永6年(1853)の黒船の来航と、それに続く安政6年(1859)の横浜開港で、本牧に外国人がピクニックや海水浴に訪れるようになった。
「かって本牧の海に突き出た十二天の崖は、黒船のぺリー提督の海図によると「マンダリン・ブラフ」と名付けられています。日本来航時、横浜周辺の水深を測量した艦隊は十二天の黄色い崖をみて、その色から「Mandarin bluff」(みかん色の崖)と呼び、当時はるばる海を渡ってきた船はこの崖を航行の目印としていました。」(※)
昭和44年(1969)に公開された市民公園で、テニスコート、運動広場、芝生広場、トンボ池などがあり、散歩やスポーツを楽しむことができる。
平成元年(1989)に友好都市提携15周年記念として、上海の豫園を模して造園された。池上に設置された湖心亭は、六角形で二層の屋根をもち女性的な曲線を持つ美しい建築です。
転車台は蒸気機関車の向きを変えるための施設である。旧国鉄横浜機関区高島車庫で使用されていたが、同区廃止に伴い、当公園内に移設し保存したものである。
本牧は、往昔小田原北条氏の所領であり、後に徳川幕府直轄の地となり、武蔵国久良岐郡本牧村大字本牧本郷と呼んだ。風光明媚な漁村で、緑濃く背後の丘陵地は貢馬を育てた牧場であったと伝えられる。浮世絵師広重も、この地に遊び風景を描いた・・・
八聖殿は昭和8年(1933)に熊本県出身の政治家安達謙蔵氏が、奈良法隆寺の夢殿を模して建てた八角形の建物である。
一階は、ベカ舟、のり加工器具、漁具などが展示されている。
向かって左側から、キリスト・ソクラテス・孔子・釈迦・聖徳太子・弘法大師・親鸞・日蓮像が安置されている。
八聖人像は八聖殿の完成・公開にあわせ、制作・安置された作品で、安達氏の手記によると、さまざまな人から意見を聞き、数多く挙げられた候補の中から、最終的に自身で外国人から4人、日本人から4人ずつ選んだと言われている。
二階は、八聖人像、旧農家の一部、農機具などが展示されている。
感染対策に細心の注意を払いながらの開催で、約1時間「八聖殿辻舌法」を聞かせて頂きました。今日の内容は、"関東の寛永大飢饉と幕府政治"で、コロナ禍時代に生かされる話しでした。
根岸湾埋立て以前、本牧臨海公園の崖下には海が広がっており、三渓園裏手の海岸では漁民たちによって潮干狩りが行われていた。
横浜港シンボルタワーへは本牧ふ頭から約2kmの距離だが、同じ道を往復するのは結構辛い歩きである。途中、海釣り公園では大勢の釣り客で賑わっていた。
本牧ふ頭D突堤にある横浜港シンボルタワーは高さ48mの真白なタワー。最上部の電光掲示板で横浜港を行き来する船の交通整理をしている。展望台からは横浜港とベイブリッジを望む360度の展望が素晴らしい。遠くには東京都内の高層ビルが見え、良く晴れた日には富士山も望むことが出来る。